稲田朋美防衛大臣の辞意。いまあらためて考えたい「国防」のあるべき姿
防衛省、自衛隊という組織の歪み
素人の背広組が首をつっこむ自衛隊
自衛隊の部隊は組織編制上、防衛大臣の指揮下にあります。事務次官の指揮下にあるわけではありません。防衛大臣は内閣の一員だから、その上の総理大臣が自衛隊の最高指揮官ということになっています。もちろん総理大臣も防衛大臣も部隊指揮能力はないから、統合幕僚長がそれを補佐します。さらに、統合幕僚長ひとりだけで補佐はできないから、その下に幕僚監部という組織があります。指揮官とそれを補佐する幕僚、そして幕僚を支える組織という体制は、古今東西、どこでも似たようなものです。もし、軍事専門家の助言を無視して、自分の直感に頼る政治指導者が強権を発動すれば、ヒトラーの二の舞ということになるでしょう。
しかし日本の場合、おかしなことに、軍事専門家である統合幕僚長が直接補佐すべき部隊指揮さえ、内局が関与します。高度の専門性が要求される部隊運用や指揮に、素人の背広組(=内局)が首をつっこむのです。
軍事組織の指揮系統は、単純で迅速でなければなりません。極言すれば、衆智を集めるよりは、ひとりの愚かな指揮官が判断する方がよいのです。しかし自衛隊の場合は、軍事的に見て衆愚を集める部隊運用となっているのです。おまけに、指揮系統と責任の所在が明らかな部隊の指揮官と違って、干渉するだけの内局の部員には責任の所在が曖昧です。
権限や責任のない者が強い発言力を行使するのは、組織にとって害でしかありません。防衛省だけでなく、日本の官庁には責任者があいまいという体制がありますが、その悪弊が軍事組織のはずの自衛隊をもむしばんでいるのです。
旧軍(特に陸軍)暴走の要因のひとつに幕僚統帥がありました。要するに、責任や権限のない参謀が勝手に作戦を立て、指揮官や上級司令部が追認することで日本の歴史が変わったのです。ノモンハンや、満洲事変がその好例でしょう。
今日の内局の干渉は、本質においてそれら歴史的事件に匹敵する問題であると私は考えています。いや、むしろ軍事知識のない背広官僚が用兵に口を出すので、さらに深刻な問題と言えるでしょう。
予想される悲劇は、ノモンハンよりむしろ湊川の例に近いかもしれません。楠木正成が軍事専門家の見地から、足利尊氏邀撃(ようげき)策として京都放棄を進言しました。しかし、軍事音痴の長袖者達(公家のこと。内局キャリアを某ノンキャリ官僚が公家集団と評したのは、偶然にしても怖い話)が権威と無意味な建前を振り回して反対したため、軍事的合理性のない湊川での決戦を強いられました。建武3(1336)年の楠木正成・正行父子、桜井の別れは、シビリアンコントロールの悪しき先例が生んだ悲劇ではないでしょうか。
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