宇都宮城の歴史的価値はどこへ……バリアフリー化を考える
外川淳の「城の搦め手」第24回
2007年7月某日、私は宇都宮城を訪れた。目的は、城を純粋に見ることより、宇都宮城の現状を確認するためだった。
宇都宮城は、ドーナツ化が進む宇都宮市街の活性化を一つの目的として、2003年より、整備事業が開始された。その結果、本丸西側を中心としたエリアでは、土塁と水堀、そして2棟の櫓が復元された。
計画段階から、栃木県在住の城郭研究仲間からは、「とんでもない城になりそうだ」という情報が寄せられていた。そして、公開直前の段階で、実物を見たら、血圧が一気に上昇。ありえないほどの高さに土塁を積みあげ、中央には巨大なトンネル。これは、堀の外に設置した駐車場から城内への導入経路を短縮するため、当時としては存在しない施設を建設してしまったのだ。
江戸時代には存在しない位置に橋をかけ、その先にはトンネル。城は、敵に攻められないため、導入経路を複雑化させるという大原則が無視される。このトンネル近くにはエレベーターが設置され、車椅子でも容易に見学できる構造が採用されている。
身体の不自由な人も城を訪れ、楽しめるよう、バリアフリー化するのは、公共の施設として当然の処置だろう。しかしそれによって歴史的遺産としての城をスポイルしてしまうことは、議論の分かれるところだと思う。この宇都宮城の現状が今後、城を復元するとき、議論する一つの材料になればと考える。
小1時間城内を探査したのち、例によって銭湯へ。
城の西方向に位置する「昔ながらの銭湯」に入浴すると、城の東側にあった「今時の銭湯」が廃業になったという話を聞く。北関東でも、銭湯の苦しい状況は続いているらしい。