現実を直視できない日本と新型コロナのゆくえ【中野剛志×佐藤健志×適菜収:最終回】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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現実を直視できない日本と新型コロナのゆくえ【中野剛志×佐藤健志×適菜収:最終回】

「専門家会議」の功績を貶めた学者・言論人

■新型コロナは思想・言論界を揺るがした

 

佐藤:コロナの流行で日本がどれだけのダメージを負うかは、溜飲の下がらない現実に耐える分別を持った人がどれだけいるかで決まる。第3回で引き合いに出したエドマンド・バークではありませんが、こんなときは臆病なくらい慎重にするのがまっとうな大人のあり方です。

中野:新型コロナ問題では、我々の思想が試されている感じがします。これで、ボロを出す者も出てきた。戦後で言うと、これに匹敵する事態は東日本大震災か石油危機かな? 石油危機は、確かに全国民に行動変容を求める事態で、かつ、資源がない日本というところを、痛いところを突かれた、結構やばい事件だった。

適菜:思想の面では冷戦崩壊が大きいですね。あれで左翼も保守も内面の問題に直面した。

佐藤:1955年、それまで武装闘争路線を取っていた共産党が、いきなり方針を転換したのも、当時の左翼青年にとっては大変なショックだったようですね。けっこう自殺者が出ました。

中野:当時は、くだらないなりに思想はあったかもしれないけど、今回の新型コロナは、あまりにも思想を鍛えてこなかったところに不意打ちを食らったという感じがしまう。それで、総崩れ。

適菜:特に自称保守系はひどいですね。

佐藤:軽症では済みそうにない。

適菜:保守を名乗る連中がおかしくなったのはとっくの昔の話だけど、そことは一線を画して、保守論壇をなんとかしようとしてきた人たちが、今回はさらにおかしな方向に進んで行った。

中野:彼らがこれまで批判していたものに、彼ら自身がなってしまったのです。
 国民の不満につけ込み、うまい話をぶら下げ、数字を操作し、特定の敵を設定して執拗に攻撃し、メディアを多用して煽動し、自分の主張だけを一方的に押し通すが、論理的一貫性などおかまいなし。これは全体主義の典型的な手法で、かつて藤井氏は、橋下徹・元大阪市長が「大阪都構想」でそれをやっていると批判した。ところが、今回は、自分が「半自粛」でそれをやっている。越えてはならぬ一線をあっさり越えましたね、彼は。

適菜:かなり深刻な問題です。

中野:専門家会議を批判したり、自粛なんか嫌だと騒いだり、怪しげな解決策を提示したり、感染症対策より経済を優先する議論を展開したりした連中には、カギ括弧付きで保守に分類されていた連中が多い印象ですね。

適菜:むしろ左翼と呼ばれている連中のほうがまともな判断をしている。国はきちんと動けとかね。

佐藤:そうとも限りませんよ。わが国の左翼・リベラルは国家否定がテンプレ。緊急事態宣言は個人の自由を侵害するうえ、憲法に緊急事態条項を盛り込む布石にもなるなどと言い出しかねません。

適菜:なるほど。そういう意味では、左翼も保守を偽装する新自由主義者も国家の否定でつながってしまう。

 

■おのれの理性を過信する者は失敗する

 

適菜:今回の新型コロナについて、アルベール・カミュの『ペスト』をやたら引用したがるやつが目に付きましたね。「クライテリオン」でも『ペスト』についての座談会みたいなのもやっていた。

中野:……ったく、インテリぶって。

適菜:あの小説もいろんな連中の行動を描写しているわけだけど、私も『コロナ』って小説でも書こうかなと。真剣に感染症に向き合った専門家や医療関係者、デマを拡散させた無責任な人たち、現実から目を背け逃避しようとする人たち、そして人々の不安につけこみ、社会「実験」をはじめる人たち……。

中野:いいですね。

適菜:でもそこまで暇じゃないので、誰か書いてくれないかな。

佐藤:しかも、みんな決まって『ペスト』です。エドガー・アラン・ポオの『赤死病の仮面』や、小松左京の『復活の日』、ウィリアム・S・バロウズの『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』などを引き合いに出す者は、私の知るかぎり皆無。ついでにカナダの映画監督、デイヴィッド・クローネンバーグの名前も出てこない。商業映画デビュー作『シーバース』(1975年)で、「感染症は異なる生命体同士の愛の行為」と喝破した天才です。

適菜:私が今回の騒動で気になったのは、素人に限って、声が大きく、断定的にものを言うことです。私は感染症についてまったくの素人だから、新型コロナ対策について、こうしたほうがいいとか、こうすべきではないといった話は一切したことがありません。ただ、こう考えたほうがいいとか、こう考えるのは間違っているのではないかという話をしてきただけです。専門家の間でも意見が割れているのに、「新型コロナはただの風邪」とか「夏には終息する」と断定するのはよくないと。未知のウイルスに向かい合う態度として間違っていると。

中野:私も同じで、専門外の感染症について「対策はこうすればいい」などと提言したりはできない。まして、「〇〇『さえ』やればいい」などと断言するなど論外。しかし、感染症の素人であっても、言っている内容が支離滅裂であるとか、藁人形論法であるとかならば、常識があれば分かる。そうやって、誰が信用できるかを判断しています。
 もっと言えば、顔や語り口でも、だいたい分かるものですよね。例えば、専門家の間でも尊敬されている押谷先生だったり、西浦先生だったり、その道の立派な先生というものの偉さは、彼らの語り口や振る舞いから、ド素人でもなんとなく分かりました。
 逆に、吊り上がった眉と血走った目で「僕は、日本のために命をかけてるんですよぉ!」などと怒鳴られると、それだけで「ああ、こいつがかけている命は、日本のためにはならんなあ」「正義を振りかざす自分に酔っているだけだなあ」と分かりますね。もっとも、そんな猿芝居を簡単に信用してしまう人もいるようですが。いわゆる「信者」ってやつですね。

適菜:新渡戸稲造も言っていましたが、立ち居振る舞いに人間性が現れる。ツイッターでどこかの女性が新型コロナについて書いてたんですけれど「自称専門家がたくさん出てきたけど、顔を見れば、ある程度信用できる人物か分かる」と。こういう女性の感覚を「非論理的」だと排除しないほうがいい。

佐藤:そういう感覚の基盤となるのが、伝統や文化ですよ。危機に際して、何を信じて、何を信じないかは、論理で割り切れるものではない。おのれの理性を過信する者はそこで失敗する。

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[caption id="attachment_1058508" align="alignnone" width="525"] ◆成功体験のある人間ほど失敗するのはなぜか
◆ 新型コロナが炙り出した「狂った学者と言論人」とは
高を括らず未知の事態に対して冷静な観察眼をもって対応する知性の在り処を問う。「本質を見抜く目」「真に学ぶ」とは何かを気鋭の評論家と作家が深く語り合った書。
はじめに デマゴーグに対する免疫力 中野剛志
第一章 人間は未知の事態にいかに対峙すべきか
第二章 成功体験のある人間ほど失敗するのはなぜか
第三章 新型コロナで正体がばれた似非知識人
第四章 思想と哲学の背後に流れる水脈
第五章 コロナ禍は「歴史を学ぶ」チャンスである
第六章 人間の陥りやすい罠
第七章 「保守」はいつから堕落したのか
第八章 人間はなぜ自発的に縛られようとするのか
第九章 世界の本質は「ものまね」である
おわりに なにかを予知するということ 適菜 収[/caption]

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