又吉直樹、押切もえ……芥川賞ら文学賞を芸能人がとるのはイヤですか?
芸能人と文学賞①
文学賞を芸能人たちが盛り上げることには、文学賞にとって益しかない
世のなかには「文学」っていうものがあります。どうやら、あるらしいです。
一人ひとりの頭のなかに「これが文学に違いない」という考えがあり、しかしたいていは個人的な趣味・趣向と見分けがつきませんが、それでも(それだからか)一般にエラいもんだと尊敬されたり、先生だ文豪だとおだてられたりする高尚で奥深そうな世界……一応そういうものがあるのだ、としておきます。
わかりづらい「文学」に比べると、「文学賞」はわかりやすいです。少なくとも受賞か落選か、結果だけは出ます。ほとんどの文学賞は、関係者しか注目していないような、けっこうシガない催しですが、直木賞・芥川賞という、半年に一回決まる文学賞が(なぜかいつも)マスコミに取り上げられるおかげで、世のなかには文学賞ってものが存在するんだな、と社会の隅々にまで知れ渡っています。
しかし、文学賞の対象になるような本、いわゆる文芸書は、かなり販売力が落ちてきている。というのが、ここ数年来(十数年来?)の定説です。文芸書が売れなくても、私を含め、一般的に困る人はあまりいないはずですが、それで飯を食っている人たちにとっては死活問題。この局面を打開しようと文芸業界は必死だ、などとあちこちで言われています。
そんな二〇一五年七月、テレビでもよく見るお笑い芸人、〈ピース〉の又吉直樹さんが芥川賞を受賞しました。日本でいちばん知られている文学賞を、何か知っている芸能人がとった。このインパクトは文学賞史上でも類を見ないほどの熱を帯び、受賞作の『火花』は一年足らずで二五〇万部強も売れて、書籍の売り上げ増に貢献。いっぽうでは「芸人に賞を与えて本を売るとか、文学終わったな」と、いつかどこかで聞いたことのあるような批判がまたぞろ噴き出し、「報道ステーション」で古館伊知郎さんが「芥川賞と本屋大賞の区分けがなくなってきた気がする」と、いかにも世間の印象論を代弁するかのような発言をしては、ネットで叩かれたりしました。
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