文学賞に続々とノミネートする芸能人作家。反対の声も
芸能人と文学賞③
文学賞に期待しすぎないこと
見せものの文学賞で、観客動員力のある芸能人小説を候補に選ぶ。というのは、どこにも矛盾やキズがない、きれいで真っ当な姿勢でしょう。これに対する文句は、たいがいが難クセです。
じゃあ、その小説が「わざわざ読むに値するのか」、あるいは「いまの小説界でどの程度のレベルにあるのか」といった話に、つい興味もわくところですが、それを示すのは文学賞の仕事ではありません。各メディアでの真面目な書評や時評、口コミ、Amazonレビュー、そういうところでやるのが自然です。だって、考えてもみてください。山周賞にしろ直木賞にしろ、過去どんな作品を選んだって、それが日本の文学や小説界の趨勢に影響を与えたことは、まずありません。これらの文学賞にそこまで期待するのは、買いかぶり、というものです。
それで押切さんの話に戻りますと、どういう経緯で押切さんが小説を書きはじめ、『永遠とは違う一日』を完成させるにいたったのか……といった話は、ネットにあふれ返るほど出ています。そちらを読んでいただければ手っ取り早いんですが、とりあえず簡単にまとめてみますと、もとから押切さんは読書大好き人間。10年ごろから、まわりに内緒でこっそりと小説を書きはじめ、途中、あこがれの阿川佐和子さんに「とにかく書き続けることが大切なのよ」と励まされながら『浅き夢見し』(13年8月・小学館)を上梓したものの、一発出して終わりにするつもりはなく、『小説新潮』15年1月号に短篇「抱擁とハンカチーフ」を発表して以降、ぽつりぽつりと継続して、いまを生きる女性たちの生態を書き継いでいった。……というその流れは、とくに又吉さんの芥川賞受賞(15年7月)に乗っかった動きではありません。
こういったなか、かなり早い段階から、押切さんと文学賞を結びつけるコメントを出していたのが、新潮社の担当編集者(の楠瀬啓之さん)です。
そりゃ押切さんの書く文章に惚れ込んでいれば、当然の発言でしょう。そして、単行本が刊行されて最初のチャンスとなった山周賞で、ほんとうに候補に選ばれるところまでこぎつけたんですから、有言実行といいますか、篤実な仕事ぶりです。