【車いすのダイバー】障害をもった私も好きなダイビングをやりとげるためのあふれるような挑戦心・冒険心をもっている
寝たきりゼロの老後をすごす方法/その参
車いすのダイバー、大学准教授(教員)吉野由美子氏は、は、ダイビング歴31年、回数にして実に800回を超える大ベテランである。このキャリアが示すものは、たとえ障害があっても、健常者と同じようにアウトドアスポーツを深く楽しむことができるということである。その彼女が、日本の障害者がアウトドアスポーツなど新しいことに挑もうとする方たちに対する周りの方たちの反応に「異議」を唱える。それはなぜか? 障害者が何かに挑戦しようとするときの社会の考え方の問題点とは? 吉野氏が熱く語る!
■ロービジョン(弱視)は理解されがたい障害
みなさんには、重複障害を持った、私が日常どんな風に生活し、仕事をし、そしてどんなところで困るのかは、ちっとも分からないと思う。そこで、なるべく具体的に、私の障害を持って生きてきた生活を描写してみたい。
まず、水晶体がない。矯正しても視力が私の場合0.1しか出ない。そういう私の見え方はどんな状態なのかということから説明しよう。
水晶体というのは、良く知られているように、私たちの眼でレンズの働きをしている。遠くを見るときは、薄くなって、近くのものをみるときは厚くなって、網膜にものの像がきちんと結ぶよう調節してくれる優れものである。
私の眼には、この優れものがないので、遠く見る用の単眼鏡、普通に周りを見るときに使うめがね、そして小さな文字を読むための倍率8倍の読書用のめがねと、最低3種類のめがねを日常使い分けなければならない。
コンピューターに向かって、入力する時は通常の生活用、引用文献をみるときは読書用、入力中、誰かが訪ねて来れば、その人を確認するために、あわてて通常の生活用のめがねに掛け替えるといった具合。
私の机の上には、いつもこれらのめがねが散乱し、取っ替え引っ替え。忙しい時には、ほんとうにうんざりしてしまう。
しかも、どんなに通常の生活用のめがねを調整しても、人の顔を見ても、だいたいの輪郭はわかるが、細かい特徴は見えないので、人の区別が見ただけではできない。
私が勤めていた高知女子大学は公立大だから、1学年40人足らずの学生数だが、その彼女たちと3年間つきあっていても、誰が誰やら区別が付かない。道で会っても、人違いするのが怖いからこちらから話しかけることも出来ない。こちらから学生に親しく声がかけられなかったら「人気のある大学教員」にはなれない。
そのためかどうか、私の所にはゼミ生がなかなか集まってくれなかった。相手の判別が出来なくて、こちらから挨拶出来ないことは、大学でのことだけでなく、人間関係構築には、ひどいマイナスとなる。
それに普通の生活上では、それほど見えてないようには思えないらしく、「道で会っても挨拶もしない、いやな人間」と思われたりする。
もちろん新しい人と知り合うたびに「視覚障害があり、よく見えないので」と話すのだが、みなさん長くつきあっていると忘れてしまうようで、私の足が悪いのを見て「どうして運転免許を取らないの」などと聞く人も出てくる始末である。
視覚障害という感覚障害は、一般になかなか理解しにくいのだが、その中でも、ロービジョン(弱視)という障害は、ほとんど理解しがたい障害のようである。
とにかく見えているようで、実は細かいところが見えていない。夜や暗いところでは、いっそう見えにくくなるので、歩く速度はゆっくりになり、時々足探りなどすることもある。
■障害があるとお金がかかる
一方、足の障害の方はどんな風かというと、まず、内側に曲がってしまった大腿骨をまっすぐにするために3回手術をし、金属の支えを入れて、骨を補強しているらしい。
その手術のため、大腿骨が極端に短く、私の身長は、30年前でも132cmと小学校2年生の平均並みで、膝関節は90 °(立て膝程度)しか曲がらないのである。
この足で生活上、何が困るかというと、まず身長が極端に低いので、空間が利用できない。
高いところにあるものは取れないし、又置くことも出来ない。部屋のカーテンがレールからはずれたり、トイレの電球が切れてしまったりすると、本当にパニックを起こしそうになる。
若い人たちの身長はどんどん高くなっているみたいで、市販の流し台の高さもアップ、特注ものでないと、高すぎて皿洗いも調理も出来ない。
膝関節が曲がらず、座れないと、和式トイレや畳での生活がまだまだ多い日本では、大変に困る。座敷での宴会、立て膝でお酒をついでまわるようなことは出来ないので「飲み二ケーション」に支障をきたし、ここでも人間関係構築にマイナスとなる。
歩く速度は、1時間に2キロが良いところ。これは通常の人の2分の1。
不動産屋の広告で、駅から10分と書いてあれば、私には20分以上かかることになる。
私は何度か引っ越しを経験しているが、不動産探しは大変だ。パンフレット上で駅から5分以内を探さないと通勤出来ないのたが、駅から5分以内といえば、都心から相当離れていても価格は馬鹿高である。
不動産売買だけではない。歩く速度2分の1は、私の行動すべてに影響を与える。いつも普通の人の2倍の時間を見て、早め早めに行動するのが,私の習慣になってしまっている。体重を支えるため、右側に杖をついている。歩いているときは、左手しか自由にならない。
そこで雨など降って傘を差さなければならないときは大変。両手がふさがって、小銭の取り出しなどもままならない。左手をなるべく自由にあけておきたいので、しゃれたスーツを着ていても、リュックサックにウエストバックというスタイル、ブランドもののしゃれたバッグを持つなど、夢のまた夢である。
しゃれたといえば、こんなに標準からはずれていると、衣服の調達が大変である。上半身は、普通サイズで良いのだが、ズボンに関しては、太いウエストに短い足で、なかなか私にあうものが見つからない。
最近はLLサイズなどの店も、ずいぶん充実してきてデザインもあか抜けて来たが、とにかく安いものはない。
歩く速度が遅いので、とにかくよくタクシーを使う。手すりのついたハンディキャップ用のお風呂場を導入する。障害があるとお金がかかるというのは、一般に言えることであるが、私の生活には、とにかくお金がかかる。
■無重力状態の魅力と快感
そんな私の趣味は、37年前から夢中で続けているスクーバーダイビング。
様々な海で、いろいろな魚や景色に出会うのもすばらしい体験であるが、たぶんスクーバーダイビングが私をこんなに引きつけてやまないのは、無重力状態の魅力だと思う。
いったん海の中にダイブすると、自分の体の重さも、背負っているダイビングギアの重さもすべて消えて、すばらしい開放感が味わえる。
もし、海の状態が悪くて、魚も何も見られなくても、私はただこの無重力の快感を味わっているだけで満足するのだ。
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著書・執筆紹介
●日本心理学会 「心理学ワールド60号」 2013年 特集「幸福感-次のステージ」
「見ようとする意欲と見る能力を格段に高めるタブレット PC の可能性」
●医学書院 「公衆衛生81巻5号-眼の健康とQOL」 2017年5月発行 視覚障害リハビリテーションの普及
● 現代書棒 「季刊福祉労働」 139号から142号
2013年 「インターチェンジ」にロービジョンケアについてのコラム執筆 142号
● 一橋出版 介護福祉ハンドブック17「視覚障害者の自立と援助」
1995年発行