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【車いすのダイバー】障害をもった私も好きなダイビングをやりとげるためのあふれるような挑戦心・冒険心をもっている

寝たきりゼロの老後をすごす方法/その参

■アクシデントも過ぎ去れば素敵な思い出

 私の31年のスクーバーダイビング歴の中で、もっとも印象的で忘れがたい出来事をいくつか紹介しよう。

 20年ほど前、新島(にいじま)にて。私たちのはき出す空気の泡を追っかけて、船が潜っている私たちについてきてくれるという、いわゆるドリフトダイビングをしていたときのこと。
 水面の潮流と少し深いところの潮流が逆になったため、私たちが進む方向とは逆方向に泡が流れていたものだから、私たちについてくるはずの船が、全然違う方に行ってしまった

 リーダーのインストラクターがすぐに異変に気づいて浮上したが、船は、遙か彼方。折からうねりが高くなってきて、遠くに見えている船は、なかなか私たちを見つけられない。はいているフィンをはずして、振ってみたりして、船が私たちを見つけたころには、40分ほど漂流していた。

 空はとてもきれいに晴れ上がっていた。そんなに遠くない所に新島の海岸線は見えるのだが、波が高く、とても近づける状態ではない。
 私たちを見つけた船は、全速力で近づいて来てくれ、重さ10㎏以上あるタンクをインストラクターに預けて、私は最初にはしごをあがり始めた。

 ところがとにかく流れがきつくて、船が傾き、はしごオーバーハング状態。落ちたら大変だし、早くしないと下で待っているダイバーを上げることが出来ない。とにかく必死ではしごにしがみつき、高い船縁を越えて、そこにへたり込んでしまった。

 早くどかないと後のダイバーに迷惑だとわかってはいるが、船にあがれた安堵感からか、とにかく全然力が入らない
 水面を見ると、他のダイバーが波にもまれている。うねりは相変わらず高い。他の仲間達も必死で船にあがってくる。

 最後に二人分のタンクを持ったインストラクターがあがって来て、一同、やっとほっとした。
 40分の漂流の間、波も高かったし、ちょっと不安だったけど、空が青くすんでとてもきれいだった。
「あのときは、吉野さんもまだ体力あったんですね。あんなオーバーハングのはしごあがれちゃうんですから」とは、インストラクターの感想。
「必死だったので」と私は答えた。

危険な目に遭ってもなぜか晴々した表情の私

■台風のせいでめぐりあえた美しい魚たち

 八丈島に潜りにいった時のこと。
 空はピーカンに晴れているのだが、遠くに来ている台風のせいだったか、波がとても高く波浪警報寸前。岸辺に近い所は、波が激しく打ち付けるから、漁船で少し沖の方に出て、一斉に船縁から飛び込んだ。
 とにかくひたすら潜って、深度30メートルの海底にたどり着いた。

 そこは、透明度が良く明るくて、沖縄の海のよう、ユウゼン(八丈島、小笠原諸島などで見られる魚)の模様がすごく鮮やかで目に焼き付いた。あんなきれいなユウゼン、あのあと見ていないような気がする。

チョウチョウウオでは唯一の日本固有種であるユウゼン。海外では数万円の高価で取引される魚マニア垂涎の一種

■はぐれても慌てず見とれたコモド島の絶景

 15年ぐらい前だったか、インドネシアの秘境コモド島の周辺で潜った。
 コモド島には「コモドドラゴン」と言う古代恐竜の面影を残す大トカゲが生息しているが、この古代の遺物のような大トカゲが現在まで生き残れたのは、コモド島の周りに激しく速い潮流が流れていて、外敵が島に進入できなかったからであると言われている。
 それほどに、とにかくコモド島の周りの潮の流れは速かった。しかも、確かその時はちょうど大潮であった。

 私たちのグループは、みんなまとまって流されながらのドリフトダイビングをするために、とにかく一気に着低して、一度底に集合してから流れて行くと言う打ち合わせになっていた。
 が、私のキック力は障害をもたないダイバーの半分程度と弱いのと、耳の抜けが悪くて潜行に手間取ったため、だいぶ流されて底についたときには、周りには誰もいなかった。

 みんなとはぐれてしまったのである。
「どうしよう」と思いながら、ふと頭上を見ると、小魚が流れに逆らいながら泳ごうとして、ヒューッと流されている。
「かわいいね。これじゃ私が流れるのも仕方ないか」などと思い、さらに周りを見回すと、水は緑がかった青で川の流れのようにとうとうと流れ、その中を魚の群が流されているのだ。

「きれいだなー」と思わず見とれていたが、思い返して、はぐれたときのルールに従って浮上。
 とにかく流れが速い。目の前の陸地の景色が、どんどん飛んでいく。

 その内、仲間の乗ったゴムボートが近づいて来て、私は無事にその上へ。
 ボートの上にいた馴染みのインストラクターが、
「みんな吉野さんがいないって大騒ぎして、心配していたけれど、私は、きっと流れの下(しも)の方に浮上しているからと思って、あんまり心配していなかった」と坦々としていた。 

生きた恐竜、コモド島の「コモドドラゴン」

 この他にも、三宅島・大久保の浜で高波に巻き込まれて、ごろ田に打ち付けられたこと。インドネシア・マナドサンゴに頭をつっこんで大きなコブをこしらえたことなど、私の印象に残っているダイビングは、みんな「少しやばかったもの」ばかりである。

次のページなぜ印象に残るダイビングは少しやばい経験ばかりが多いのか?

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ブログ「吉野由美子の考えていること、していること」

月刊『視覚障害-その研究と情報』

視覚障害リハビリテーション協会

 

著書・執筆紹介

日本心理学会 「心理学ワールド60号」 2013年 特集「幸福感-次のステージ」 
「見ようとする意欲と見る能力を格段に高めるタブレット PC の可能性」

医学書院 「公衆衛生81巻5号-眼の健康とQOL」 2017年5月発行 視覚障害リハビリテーションの普及

現代書棒 「季刊福祉労働」 139号から142号 
2013年 「インターチェンジ」にロービジョンケアについてのコラム執筆 142号 

● 一橋出版 介護福祉ハンドブック17「視覚障害者の自立と援助」   
1995年発行

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吉野 由美子

よしの ゆみこ

1947年生まれ。 視力と歩行機能の重複障害者。先天性白内障で生後6ヶ月の時から、7回に分けて水晶体の摘出手術を受ける。足の障害は原因不明で3歳頃から大腿骨が内側に曲がる症状で、手術を3回受けて、68歳の時に骨粗鬆症から腰椎の圧迫骨折、現在は電動車椅子での生活。
東京教育大学附属盲学校(現:筑波大学附属視覚特別支援学校、以下:付属盲)の小学部から高等部を経て、日本福祉大学社会福祉学部を卒業。
名古屋ライトハウスあけの星声の図書館(現:名古屋盲人情報文化センター)で中途視覚障害者の相談支援業務を行ったのち、東京都の職員として11年間勤務。
その後、日本女子大学大学院を修了し、東京都立大学と高知女子大学で教鞭をとる。2009年4月から視覚障害リハビリテーション協会の会長に就任する。2019年3月に会長を退任し、現在は視覚障害リハビリテーション協会の広報委員と高齢視覚リハ分科会代表を務める。(略歴吉野由美子ブログ「吉野由美子の考えていること、していること」より構成)

 

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視覚障害者の自立と援助 (介護福祉ハンドブック 17)
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  • 吉野 由美子
  • 1997.02.01