なぜ今、教師の「権威」は失墜しているのか?
尊敬されない教師が生まれた理由
◆「公的なもの」は後退し、「私的なもの」が前進した
子ども(生徒)のありようも私的エゴによる経済主体の傾向を強く示してくる。共同体的なものに支えられない個人が登場し、自己の利益、自己の基準に沿って自己主張するようになる。
その結果、1980(昭和55)年を越えて教育問題・学校問題(校内暴力、不登校、いじめ、家庭内暴力、高校中退、ひきこもり、学力低下等)が多様に噴出することになり、特に公立学校の「教員のちから」が大きく後退し、教育・学校のちからの減少とともに、教師の権威の失墜、すなわち、「尊敬されない教師」が登場してくることになった。
そして、国民の教育の指導機関であるはずの「教育行政」(文科省、教育委員会)がサービス機関化して、「民間のちから」に追随するようになる。教育・学校を変えたのは「民間のちから」(経済のちから)であり、つまりは、市民社会的なちからだったのである。
教師の権威の失墜は教育・学校における「公的なもの」の後退、「私的なもの」の前進、教育の公共性の低下、教育の市場化の結果として生じた。長いこといわれている「教育の荒廃」の原因は「消費社会化」による社会構造、社会意識の変化によるものである。
それを直接に動かしたのは「民間のちから」の私的利益追求のエゴによるものなのである。つまり、親と生徒である。
かくして、全国的に私学の隆盛の時代となったわけである。子ども(生徒)の経済的な交換価値を高めるためである。
〈『尊敬されない教師』より構成〉