【秋田「地名」ケンミン性】齶田(あぎた)——古代、阿倍比羅夫の蝦夷征討に由来をもつ県《47都道府県「地名の謎」》
【全国地名由来辞典】県や町の名前から郷土のドラマをひもとこう!_秋田県
日本の地名は世界でも稀に見るほどバリエーションが豊富。
地名の由来を探ると、多様な地形、自然を愛でる表現性、ふるさとを思う民俗性など、この国の原点が見えてくる。
読者のみなさんの故郷はどちらですか? 地名は・・・?
日本人ならなぜか初対面でも話が弾む出身地・県民性・そして地名雑学‼️
ようこそ! 地名の奥深い世界へ‼️
■古代にルーツを持つ地名も
《秋田県の由来》古代の蝦夷征討に由来をもつ
「秋田」という地名が、日本史上、最初に見られるのは『日本書紀』の斉明天皇4(658)年の条である。ここに阿倍比羅夫(あべのひらふ)が水軍を率いて蝦夷地へと遠征し、現在の秋田市周辺と考えられる「齶田(あぎた)の浦」に着いたことが記されているが、この「齶田」こそが「秋田」のルーツとされている。
その後、天平宝字5(761)年には日本最北の古代城柵として秋田城が設置され、平安時代にかけて東北経営の重要な拠点となった。
その後久保田藩を秋田藩に変え、今に至る。
《地名の由来》
◉阿仁(あに):平安期の大兄と小兄
平安時代に米が沢と釜が沢という地域に、高倉長者の嫡子・庶子がおり、大兄・小兄と称したことが地名の由来と伝わる。
天正19(1591)年の朱印状にある「秋田郡小阿仁村」との表記が、史料としての初見。
◉川反(かわばた):武家地の反対側の川端
現在の秋田市の中央を流れる旭川は、久保田城(秋田城)のすぐ西側に位置しており、武家地から見ると反対側にあることから「川反」という漢字があてられた。また、江戸時代から明治時代までは「川端」とも書かれた。
◉五城目(ごじょうめ):古くは「いそのめ」
『和名類聚抄』に記された「卒浦郷(いさうらごう)」が、現在の五城目辺りとされている。昔は「五十目」と記して「いそのめ」と呼んだが、江戸時代からは「ごじゅうめ」と読まれ、明治時代に「ごじょうめ」に統一された。
◉乳頭温泉(にゅうとうおんせん):湯の色が由来ではない
特徴的な白濁の湯の色ではなく、背後にある乳頭山に由来。
山名の由来は、乳頭の形に似ている山頂の形から。
ただし、その姿は秋田県側から見た場合で、岩手県側からは烏帽子に見えるため「烏帽子岳」と呼ばれる。