名古屋をめぐる英傑。〈織田信長〉ゆかりの地を歩く
名古屋地名の由来を歩く【英傑のふるさとを訪ねる①】
勝幡城を訪ねる
名鉄津島線にその名もずばり勝幡駅(愛西市)という駅がある。そこから北西に向かって日光川に沿って十分も歩くと、勝幡城址に出る。今は堤防下の小さな敷地に「勝幡城址」という木碑と勝幡城の碑が建てられているだけである。少し離れた住宅地にも立派な「勝幡城址」の石碑(愛知県建立)が建てられている。
ふと見ると、近くのヘアサロンに「信長生誕を育む会」というNPO法人があると書いてある。その名も「うつけ隊」の副隊長という立松江里子さんに案内していただいた。一家をあげて「うつけ隊」に参加しているらしい。
信長は幼少期から青年期にかけてうつけ(おろか、ばかの意)と呼ばれていたというが、地元の信長を愛する気持ちに素直に感銘する。
平城であったため、今は民家と畑地になっている。この城をつくったのは信秀の父織田信定であり、信秀はここに居城したが、享禄5年(1532)、今の名古屋城内にあった那古野城を今川氏から奪い取って、まだ生まれたばかりの信長を城主として居城させた。その後、信秀は古渡城、末森城を今の名古屋市内に築き居を移していき、やがてこの勝幡城は廃城となった。
ちなみに、この「勝幡」という地名だが、もともと「塩畑」だったのだが、信秀が縁起のよい名に変えようということで「勝幡」としたという。