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名古屋をめぐる英傑。〈豊臣秀吉〉ゆかりの地を歩く

名古屋地名の由来を歩く【英傑のふるさとを訪ねる②】

「中中村」説が有力 

 確かに境内には秀吉お手植えの基木より五代目という柊ひいらぎがあり、さらに秀吉が産湯として使ったという「豊太閤産湯の井戸」なるものが残されている。

 ふと見ると、名古屋市教育委員会の名前で書かれた看板が目に入った。そこには右のような説明をしたあと、「なお、誕生地については、中中村(現中村中町あたり)とする説もある」と書かれている。一般にここまで書いているところを見ると、この常泉寺の他に、「中中村」説というのがかなり強いことが伝わってくる。 地元中村区出身の横地清氏によると、「尾張の中村」出身といわれる場合の「中村」の特定には次の四つの説があるという。

①中村公園の豊国神社東側の竹藪
②妙行寺の西方(尾張名所図会が図示)
③常泉寺
④中中村出生地「弥助屋敷」(中村中町2丁目28番地と道を挟んでその南側の地)
 ①〜③はほとんど同じ場所だが、④だけは地下鉄中村公園駅の南東地点で、中村公園からは歩いて10分程度の距離になる。

 横地氏によれば、①〜③は資料的根拠に乏しく、説得力に欠けており、④の「中中村」が正しいのではと説いている。氏によれば『太閤素生記』に「尾州愛知郡ノ内上中村、中中村、下中村と云在所アリ、秀吉ハ中中村ニテ出生」と明記されているという。また近年発見された『前野文書』にも「秀吉は中中村の子」と記してあるという。(『中村区歴史余話』)
 こう見てくると、中中村説が正しいようにも見えるが、いずれにしても歩いて10分程度のエリアの問題である。この中村に、天下統一を果たした日本史上特筆に値する英雄が生まれたことは事実である。

【周辺ガイド】

名古屋市秀吉清正記念館:現在の名古屋市中村区に生まれた二人の武将、豊臣秀吉と加藤清正に関する資料を収集し、展示する歴史博物館。昭和42年(1967)に開館した豊清二公顕彰館を平成3年(1991)に改築し、現在の館名に改めてリニューアルオープン。名古屋市博物館の分館に位置づけられている。中村公園文化プラザ内にある。常設展は、織田信長が天下統一へ向かったころから、秀吉の天下統一、そして大坂の陣で豊臣氏が滅亡するころまでを、五テーマに分けて紹介している。このほかにも毎年秋の特別陳列、館蔵資料を中心とした特集展示、写真パネル展を随時開催している。《参照》:加藤清正(48頁)

『名古屋地名の由来を歩く』(著・谷川彰英)より構成〉

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所元所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。

 

 

 

 

 

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  • 谷川 彰英
  • 2011.10.08