徳川家康が定めた古刹。甚目寺観音は名古屋城を護る鬼門に置かれた。
名古屋地名の由来を歩く【知られざる寺院の魅力②】
法隆寺や四天王寺に次いで由緒あるお寺
ところで、甚目寺の歴史をたどってみよう。「甚目寺」という珍しい名前は、伊勢の「甚目(はだめ)村」の漁師、龍麿という人物に由来する。時代は古く仏教伝来から数十年後の推古天皇5年(597)、この甚目龍麿が近くの入り江で魚を獲っていると、その網に黄金の聖観音がかかった。歓喜した龍麿はこの入り江にお堂を建て、像を納めたという。
東京浅草の浅草寺の仏像も川で拾ったという伝承があり、このような話はあちこちに存在する。これが甚目寺の始まりであり、歴史的には法隆寺や四天王寺に次ぐ我が国有数の古刹だと寺の由緒書には記されている。
この聖観音は釈尊(しゃくそん)の授記を受けてつくられたもので、百済(くだら)を経て日本へ渡り、敏達14年(585)に海中に投ぜられた三尊仏の一つであるといわれている。ほかの二仏も拾いあげられ、一つは信州の善光寺に、もう一つは九州大宰府の安楽寺に納められているという。
南大門(仁王門)は鎌倉時代の建久7年(1196)建築の堂々たるもので、国の重要文化財。また左手にある三重塔は寛永四年(1627)築で、同じく重要文化財に指定されている。本堂は平成4年(1992)に鉄筋コンクリートで再建されたもので、趣には欠けるが、今の時代では火災などから防ぐためには、やむを得ないことかもしれない。
〈周辺ガイド〉
甚目寺歴史民俗資料館:名鉄津島線・甚目寺駅下車、徒歩約4分。町内に現存する歴史・民俗に関する資料の展示をはじめ鎌倉街道(東海道以前の街道)に関するパネルや、漬け物の神社、昔の甚目寺の模型などの展示を行っている。
〈『名古屋地名の由来を歩く』(著・谷川彰英)より構成〉
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