京は遠ても十八里~若狭と京を結ぶ鯖街道がもたらしたもの
鯖寿司、若狭ぐじ…京料理に欠かせない「若狭もん」の歴史
鯖街道とは若狭から京都を結ぶ道の総称。近年こう呼ばれるようになり、すっかり定着した感があるが古来いくつものルートがあった。決して鯖だけが運ばれていたわけではないものの、いまも京都では鯖寿司が名物であることは事実。鯖街道を紐解きながら、若狭小浜と京都との関わりをスポットとともに紹介する。
■古くから食や文化が往来し今なお根付く
若狭と朝廷の関係は古い。平城京跡から発見された木簡に若狭から都へさまざまな御贄(みにえ)を送ったことを示す荷札があり、奈良時代には既に海産物が送られていたことが裏付けられている。海に面した若狭には、このころから旨いもんや塩が豊富だったようだ。
数ある鯖街道のなかで主要ルートであり最大の物流量を誇ったのが若狭街道だ。小浜を起点に熊川宿を経て滋賀県の朽木村、京都の大原を通り、終点の出町まで続く道。こと熊川宿は要所であり問屋街、宿場町として栄え、今も当時の風情が色濃く残っている。
一方、最短ルートとして利用されていたのが針畑越え。若狭国府が置かれた遠敷(おにゅう)の里から針畑峠を越え、朽木村を経由し京都の鞍馬を通り出町に行くルートで、とにかく険しいのだが最短距離なので頻繁に利用された。「京は遠ても十八里」と言いながら、ひと塩した鯖を背負って峠をせっせと越えていたったそうだ。京に着くころに、鯖はいい塩梅になっていたとか。海が遠い洛中では、この鯖が重宝されたのだろう。現在も鯖は京都人にとって特別で、鯖寿司はハレの日の御馳走として根付いている。
若狭もんといわれ珍重されてきた海産物は鯖だけではない。若狭ぐじ(アカアマダイ)もその一つで、こちらは京料理に欠かせない逸品。うろこを付けたままパリパリに焼く「若狭焼き」のスタイルで出している店もある。
鯖に若狭ぐじ…と鯖街道を通じて京都の食文化へ与えた影響は非常に大きい。他方、若狭には京都の影響を受けた祭礼や伝統芸能などの文化が残っている。このあたりについては、御食国(みけつくに) 若狭おばま食文化館を訪れると知見が広がるはずだ。
小浜の豊かな食文化や歴史を精巧な食品レプリカやパネルを使って展示。京との往来を通じて影響を受けた小浜の文化や暮らしなども広く紹介している。館内には若狭塗、めのうなど伝統工芸の体験エリアのほか、若狭グルメが味わる食事処、目前の小浜湾を眺めながら癒される温浴施設を備え、小浜の魅力を多方面から感じられる。
(福井県小浜市川崎3-4)
陸路の鯖街道に対し、北前船が通った海路も盛んだったことを忘れてはならない。江戸時代、敦賀に並んで寄港地だった小浜を経由して、昆布やにしんなどが京都にも運ばれた。京都のだし文化や名物にしんそばもまた、若狭小浜から届いた食材で育まれてきたものなのだ。鯖やにしんに加え、小鯛やカレイ、鰻などの淡水魚も流通していたという。小浜と北前船については、鯖街道の起点に位置する小浜市鯖街道MUSEUMへ。楽しみながら学べるのでおすすめだ。
〇小浜市鯖街道MUSEUM
2020年3月8日(鯖の日)にオープン。鯖街道の歴史やルートなどを紹介する。北前船のコーナーにはトリックアートがあり、乗船気分が味わえる仕掛けも。屋外にある針畑越え、若狭街道の2つの鯖街道を模した築山や鯖のトリックアートなど、遊び心にあふれたミュージアムは撮影スポットが多い。
(福井県小浜市小浜広峰17-1)
鯖街道がもたらした若狭と京都の関係。若狭街道は戦国時代の戦の主要ルートとしても重宝されたという。空前の鯖ブーム、歴史ブームに乗り、鯖街道ブームもじわじわくるかもしれない。
※10月2日発売の『一個人』秋号の記事「明智光秀も奮闘 金ヶ崎の戦い」では、鯖料理をはじめとする若狭の伝統食をいまに伝えるお店を紹介。こちらもお見逃しなく。