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名古屋人以外も知っていてソンはないまち〈小牧〉

名古屋地名の由来を歩く

地名の由来「小牧」

 ところで、「小牧」という地名には、これまで二つの説があった。
 一つは、古代においてはこの近くまで海が入り込んでいて、この山を目標に「帆を巻いた」ことから「帆巻」といい、それが「小牧」に転訛したというものである。

 もう一つはここに昔、馬の市が開かれ、「駒が来る」ということから、「駒こま来き」と呼ばれるようになって、それが「小牧」に転訛したというものである。

 判断は難しいが、私は前者の方が正しいのではと考えている。「駒が来る」が「駒来」となることはあまり考えられない。「来る」という動詞が「来
(き)」に転訛するということ自体、無理がある。

『小牧町史』には「抑も此山は太古の世西麓附近にまで海水湾入して船舶の出入昌んなりし時、舟人等は遠く此山を目標として帆を巻くのが例であった、故に帆巻山の名が称せられ、今に至るまで之を云ひ伝へる」とある。

 ここで「遠く此山を目標として帆を巻く」と書いてあることが決め手だ。先にも述べたように、濃尾平野では唯一といっていいほどの目立つ山で、海から多少離れていても、この山だけはよく見えたはずである。今と違って空気も澄んでおり、かなり遠くからこの山は望めたはずである。

「帆巻」の目印となった小牧山

 当時、海がどこまで入り込んでいたかはわからないが、縄文海進の時代には今の海岸線よりも相当内陸まで海であったはずで、この「帆巻」説はかなり信憑性が高いものと考えられる。

〈周辺ガイド〉

小牧市歴史館:小牧城は現在小牧市歴史館としてその名をとどめている。名古屋市在住の実業家平松茂(故人:小牧市名誉市民)が私財を投じて建設し、小牧市に寄贈したもの。鉄筋コンクリート造り、三層四階建てで、高さは19.3m、四階展望室の位置は約14メートル(標高100メートル)。木造の城をイメージさせる内装で、平成19年(2007)3月31日にリニューアルオープンした。

『名古屋地名の由来を歩く』(著・谷川彰英)より構成〉

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所元所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。

 

 

 

 

 

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