戦国時代はヤクザの世界!?
大間違いの織田信長②信長が生きた戦国時代
戦後民主主義のヒーローとしての信長の真実の姿は歪められている?真実の信長像を知ることで、新たな日本史の歴史観が構築される! 気鋭の保守の論客倉山満が挑む新境地! 絶賛発売中の『大間違いの織田信長』(KKベストセラーズ)を上梓した、倉山満氏が人間信長の魅力に迫る!
信長が生きた戦国時代
信長はあらゆる権威をないがしろにしたというイメージがあります。これは大噓です。
そもそも、室町時代は下剋上の時代だとよく言われますが、下の者が上の者にとって代わるというのが本当の意味での下剋上ならば、豊臣秀吉の登場まで下剋上などほとんどないというのをご存じでしょうか。
信長本人の話をする前提として、信長が生きた戦国時代がどんな時代だったかの話をします。
最初の下剋上の例だと言われる、明応の政変という事件があります。応仁の乱の後、管領は細川政元(まさもと)が務めていました。政元は現職将軍の足利義材(よしき)を監禁し、義澄(よしずみ)という人を将軍に取り換えてしまいました。ここまで聞くと、一見、下剋上のように見えますが、政元は自分が将軍になるわけではないので、とって代わるという意味の言葉通りの下剋上とは言えません。足利家の別の親戚を連れて来て将軍にして自分の言いなりにさせるだけです。変な言い方ですが、殺してすらいません。
その政元には、養子が三人もいました。ちなみに政元は、天狗になる修行をしていたときに殺されたという変人です。その残された三人の養子が殺し合いを始めて細川家の権力が弱くなり、家老の三好一族が管領や将軍よりも力が強くなってしまいます。足利将軍家よりも管領の細川が強くなって、その細川家よりも家老の三好の方が強くなって、その三好が何をやるかというと、管領代という位を作ります。管領の代わりに仕事をする人のことです。やはり、ここでも取って代わりません。
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