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NHK大河ドラマ「麒麟がくる」明智光秀も奮闘 金ヶ崎の戦い

織田信長の家臣として転戦した明智光秀。「金ヶ崎(かねがさき)の退(の)き口(くち)」は信長が窮地に陥った撤退戦で光秀も参陣している。彼らが通ったとされる若狭街道は古(いにしえ)より海産物を京へ運ぶルートであり、若狭は今なお美食の宝庫だ。

■光秀のターニングポイント
殿(しんがり)として活躍し飛躍を遂げる

 越前の称念寺門前に約10年居住し、福井にゆかりのある明智光秀。その後、15代将軍足利義昭に侍するようになり、やがて織田信長にも仕えたという。1570年、越前・朝倉征伐に動いた信長軍にも参陣し、若狭の熊川宿を経て越前との国境に位置する佐柿国吉城に入城。木下藤吉郎(豊臣秀吉)、徳川家康らと共に3日間滞在したという。

 ここから敦賀へ進み、まず天(手)筒山城を落とし、尾根続きの金ヶ崎城を開城させ、越前・一乗谷に向かうところで近江の浅井長政による裏切りの報が入る。情報源は浅井に嫁いだ信長の妹・お市。両端を縛った「小豆袋」を届け、朝倉と浅井に挟まれた状態を信長に伝えたとの逸話が残る。現在、金崎宮では逸話にちなんだ勝守や御城印も授与している。

 勝ち目がないと悟った信長は光秀、秀吉らを殿軍として金ヶ崎城に残し、数人の御供を連れて急ぎ撤退。難攻不落の国吉城まで戻り、朽木(くつき)を通るルートで京へ戻ったという。これが金ヶ崎の戦い(金ヶ崎の退き口)といわれる信長の撤退戦であり、「朽木越え」といわれる退散ルートは鯖街道の一つ「若狭街道」だ。殿を務めたという光秀は、これを機に出世の道を歩んでいく。

 


佐柿国吉城址(さがきくによしじょうし)
10年近い朝倉攻めに耐えた堅城。城主居館跡や連郭曲輪群など遺構が残る。難攻不落といわれた勾配を感じて登ること30分、山城部から臨む若狭湾は絶景。


若狭国吉城歴史資料館
佐柿国吉城の麓にあり、江戸時代の奉行所遺構に国吉城址・佐柿区の模型や軍記『国吉籠城記』などを展示。「麒麟がくる」にちなんだ明智光秀バージョンと、朝倉攻めのために信長らが入城して450年を記念した御城朱印を各300円で販売中。
[住所]福井県三方郡美浜町佐柿25-2 
[電話]0770-32-0050
[開館時間] 9:00~17:00、12~3月は10:00~16:30
(入館は閉館30分前まで) 
[休館日]月曜(祝日の場合は翌日休)
[入館料]大人100円、小中学生50円


金ヶ崎城址(かねがさきじょうし)
朝倉征伐に乗りだした信長・光秀たちの撤退戦の地。金崎宮本殿脇から8分
ほど登った本丸跡に金崎古戦場の碑が建つ。すぐ先の月見御殿からは越前海
岸まで見渡せ、三方を海に囲まれた山城だったことがうかがえる。


金崎宮(かねがさきぐう)
尊良親王と恒良親王を御祭神とし、1890年に創建された。金崎宮は金ヶ崎城址にあり、本殿は山の中腹に位置するので本殿参拝後に史跡を巡ろう。社務所では御城印300円のほか、お市の逸話にちなみ両端を紐で結んだ難関突破勝守1000円も授与している。

[住所]福井県敦賀市金ケ崎町1-4
[電話]0770-22-0938
[時間] 参拝自由 無休

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