白人至上主義をめぐる衝突。そもそもリー将軍は人種差別の象徴なのか?
トランプによる「リー将軍」でゆがめられたもの
経済面、政治面の対立
南部では、奴隷を使ったプランテーションにより綿花を栽培し、輸出することでイギリスの産業革命を支えるほどの生産力を誇っていた。1840年代にはイギリスで消費された綿花の5分の4がアメリカ南部で生産されたものだったとされている。
18世紀から19世紀前半のアメリカ経済は南部の綿花生産と輸出に頼っていて、北部は南部で消費される工業製品の生産や、南部の綿花を工場で加工する産業で潤っていた。
西部開拓によって新たな土地が獲得されると、奴隷を認める奴隷州として組み込まれるか、それとも奴隷を認めない自由州として組み込まれるかという点で争いが生じた。南部は綿花生産のための新たな土地として、北部は次々と流入する移民や労働者の移住先として、新たな州を自分たちの陣営に組み込もうとしたのである。
リンカーン大統領は当初から奴隷制に反対していたが、それ以上に連邦の分裂を食い止めることを至上の目標としていた。そのため、開戦当初は南部諸州が連邦に戻るならば、奴隷制はそのままにすると主張していた。
しかし、戦争が激化すると大義名分として「奴隷制廃止」を大きく掲げるようになった。結果的にこれが北軍の士気を高めると共に、南部との繋がりが深かったイギリスの介入を防ぐことともなり、戦勝の大きな要因となったのである。
海軍力で優位に立つ北軍は南部の制海権を握り、海上封鎖を行うことで南軍を飢餓状態に追いやったが、奴隷解放という道徳的大義がなければより強力な海軍力を持つイギリスが、工業のライバルである北部と敵対し、経済的繋がりの強い南部を支援していた可能性も考えられたのである。
南北戦争を経ても、結局のところ黒人たちの境遇は戦前とほとんど変わらず、本格的な地位向上は1960年代を待たなければならなかったことを考えれば、奴隷制を巡る人道的な問題だけではなく、政治的、経済的要因が戦争の背景として大きかったことが推察できる。