関東では珍しい石垣の城、太田金山城
外川淳の「城の搦め手」第28回
関東地方の城としては珍しく石垣が利用されていたことで注目に値する太田金山城。廃城後に石垣が人為的に崩されたことが発掘調査で解明。その後の整備事業では、崩される以前の状態で石垣が造成された。
城郭研究者のなかには、太田金山城の石垣の復元について「造りこみ過ぎ」と批判する声も強い。発掘調査後の方法としては、埋め戻すという方法もある。どのような方法が正しいかは、判断がむずかしいところではある。ただし、土木建設業者が設計図通りに積みあげるという方法は再考の余地があるだろう。
数年前訪れた当時、大手周辺では発掘調査が行われており、石垣が「見頃」を迎えていた。なお、城に限らず、発掘調査において、出土物が過不足なく見える状態を「見頃」という。
ズーム撮影をトリミングしている。このような状態で出土した石垣が上部に掲載した現況写真の状況に整備されるのであれば保存という観点では好ましくない。とはいえ、このような見頃の状態のままで保存することもできず、新しい保存方法の検討が望まれるのだろう。
資料館や博物館という名称がふさわしい大量の資金が投入された施設なのだが、正式名称は「ガイダンス施設」これは、資料館や博物館という名称をつけると、中央官庁の管轄下に入り、学芸員の配置などの法律の制約を受けることへの対応策と推測される。
これは、あくまでも私個人の推測であって、実情は定かではない。この施設の印象は、トイレがモダンな造りだったこと。建設資金よりも、学芸員をたくさん雇用して研究と展示の充実を! とはいえ、永遠に届かぬ願いなのかも?