【そうだったのか!地名ケンミン性】大阪は「坂」にちなみ「土」を不吉に思う民衆の知恵で変遷した地名。梅田は「埋め田」が由来!《47都道府県「地名の謎」》 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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【そうだったのか!地名ケンミン性】大阪は「坂」にちなみ「土」を不吉に思う民衆の知恵で変遷した地名。梅田は「埋め田」が由来!《47都道府県「地名の謎」》

【全国地名由来辞典】県や町の名前から郷土のドラマをひもとこう!_大阪符


 日本の地名は世界でも稀に見るほどバリエーションが豊富。
 地名の由来を探ると、多様な地形、自然を愛でる表現性、ふるさとを思う民俗性など、この国の原点が見えてくる。
 読者のみなさんの故郷はどちらですか? 地名は・・・
 日本人ならなぜか初対面でも話が弾む出身地・県民性・そして地名雑学‼️
 ようこそ! 地名の奥深い世界へ‼️
 今日はみなさんとともに三都の中心、大阪へ。大坂の「坂」が「阪」に変わったのは明治になってから。土を不吉に思う民衆の知恵が宿っているのです。


■「阪」は明治になってから

大阪の中心地・梅田。明治時代、梅田駅は「梅田ステンショ」と呼ばれていた。提供/大阪観光局

《大阪府の由来》「坂」にちなんで変遷した地名

 上町台地の北側を大江といい、そこの坂を「大江の坂」といったのが「大坂」と短縮されたという説、付近を「尾坂・小坂」と呼んだのが「大坂(オサカ、またはオザカ)」になったという説などがある。

 ちなみに江戸時代後期になると、「坂」は「土に返る」、つまり「死」を意味することから縁起が悪いとされ、「大阪」と書かれることが多くなった。

 「大阪」の表記が正式に使用されるようになったのは、明治時代に入ってからである。


《地名の由来》

◉梅田(うめだ)埋め立ててできた田

 豊臣秀吉の時代、この地域は川がたびたび氾濫する低湿地だった。その後、周辺が埋め立てられて田畑になると「 埋(う)め田(だ)」と呼ばれ、のちに「埋」を「梅」の佳字に変えて「梅田」という地名になったとされる。

◉日下(くさか)日本の国名誕生の地とも

 神武天皇長髄彦(ながすねびこ)に敗れた「草香(くさか)」の地は、大阪市北区あたりから見ると真東、つまり「太陽(日)」が昇る「真下」にあったことから「日下」、読み方も「日下(くさか)」となったとされる。

 また「ヒノシタ」「ヒノモト」ともいわれ、そこから「日本」という国名が生まれたとも。

◉高槻(たかつき)槻の大木伝説

 長髄彦征伐に功績があり、当地を与えられた軍隊の旗印が「月」をかたどっていたことから、「高月」と名づけたとされる。

 「槻(つき)」はケヤキの古称で、戦国時代、この地に槻の大木があったことから、「月」が「槻」に改められ「高槻」となった。

◉福島(ふくしま)菅原道真が名を改める

 古代の名称は「餓鬼島」。菅原道真が大宰府に流されるおり、その地名を悲しんで「福島」と名づけたと伝わる。

 また、『平家物語』には、元暦2年(1185年)、平家追討に向かう源義経が「福島」を訪れたことが記されている。

(2020年一個人5月号から

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所元所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。

 

 

 

 

 

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