教員を縛り続ける「教職は安定していて待遇も良い」というイメージ
知ったかぶりでは許されない「学校のリアル」 第7回
その理由のひとつには、連載の前回で触れた「聖職意識」がある。他の職業とは違う尊い職業だというプライドがあるから、待遇についてとやかく言うのはみっともないとする意識が、表立って怒りを露わにする行動を封じている。
もうひとつには、「待遇の良かった時代の意識」を引きずっていることも影響しているとおもわれる。教員は身分的には公務員だが、一般公務員に比べて平均給与が格段に良くなった時代があるのだ。
1973年2月に、「学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教員職員の人材確保に関する特別措置法案」が国会に提出されている。法律的な長ったらしい名称だが、一般的には「人材確保法案」と呼ばれている。
きっかけは1971年6月に発表された中央教育審議会答申で、そこに「教職への人材誘致の見地から優遇措置が必要」との指摘があった。当時は経済も好調で、産業界も積極的な採用を展開していた。そのあおりで、学校現場は人手不足になっていた。そこで給料を上げて、人を集めようとしたわけだ。
これを受けて法案が提出され、翌年の74年2月に「人材確保法」が成立している。以後、1978年度までに3次にわたって教員給与の改善が実施され、最終的に25%の引き上げが実現していった。
これによって、「教員の給与は公務員のなかでも高い」というイメージが定着してしまう。一般的に「公務員は安定していて待遇も良い」とおもわれているので、教員の好待遇イメージは強烈に受け取られた。
「イメージ」という言葉を使ったのは、現在では教員と一般公務員の給与差はほとんどなくなっているためである。優遇策は3次で終わってしまったからだ。そもそも人材確保法を推し進めたのは政権党の自民党であり、人材確保が表向きの理由だった。
しかし本音は、政府主導で賃上げを実現することで、賃上げ要求を核とする運動で勢いを増してきていた日本教職員組合(日教組)の求心力を弱めることにあった。組合潰しである。優遇策が3次で終わったのは、日教組対策の役割を終えたと自民党が判断したからともいえる。
ともかく、人員確保法による賃上げで「教員は好待遇」のイメージが定着してしまった。それに、教員は縛られる。「好待遇なのだから文句を言ってはいけない」という意識をもたされてしまったといっていい。その潜在意識が、現在の「もの言わぬ教員」をつくりあげている原因のひとつになってしまっている。
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