「大きくしてくれたのは内田篤人だった」――僕とアツトと。
岩政大樹が書き下ろすパートナーの存在
■岩政大樹・現役目線第29回
そのスピードに「こいつはすげー」と思った
今回、本を出版するにあたり(「PITCH LEVEL 例えば攻撃がうまくいかないとき改善する方法」)、推薦文を内田篤人にお願いしました。内田篤人の知名度を利用しようという意図もなきにしもあらず(笑)ですが、それだけではありません。一番の理由は、彼との出会い、彼との関係が僕の生き方を定めてくれた、と思うからです。この連載ではできるだけ「内田篤人」の名前を出さないようにしていたのですが、推薦文のお礼も兼ねて、今回はガッツリ書いてみようと思います。
内田篤人は僕がプロ3年目、2006年シーズンに鹿島アントラーズに加入してきました。華奢で可愛らしくて、でもどこか芯の強さを感じさせる男でした。プロ入りは2年ほどの差ですが、僕は大卒だったので、6つの歳の差がありました。
僕は前年の2005年シーズンに初めて1年間を通して試合に出続けることができたばかりで、背番号も3番に変え、チームを引っ張っていこうと躍起になっているときでした。篤人は右のサイドバック、僕は右のセンターバックでした。
同じポジションの先輩たちの怪我とアウトゥオリ(当時)監督の意向が重なり、篤人は高卒ながら開幕スタメンを飾りました。確か、宮崎キャンプを終える頃には、アウトゥオリ監督から「アツトを使うつもりだから面倒見ておいてくれ。」と言われたように記憶しています。
世話好きの僕は意気に感じましたね。「こいつを世話してやろう」と暑苦しく、めんどくさい先輩になっちゃったのです。
今思えば、本当にうるさい先輩だったと思います。僕は今でもサッカーしているときはうるさいおじさんですが、その頃は今の比ではなかったと思います。
篤人はそんな僕の指示を、聞いているのか聞いていないのか分からないような手の上げ方でそっと応えてきました。最初は「こいつ聞いてんのかな?」と思っていましたが、篤人がその指示を少しずつ自分のペースの中で消化していくのを見て、「こいつはすげー」と思うようになりました。