「ロボコン」は今年で第30回。記念すべき第1回目の舞台裏
ロボコンをつくった男たち
第1回目のロボコンは、大会開催2ヶ月前に
そのころ、米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)の機械工学科では、学生たちがロボットを製作して競技をする授業を行っていた。それを、NHK産業科学部が取材して番組を製作・放映し、担当者がその感想を森氏に尋ねた。
「ああいうことなら、うちの大学(東工大)でもやっているよ」
「それなら、東工大とMITと一緒になってやりませんか」
とのやりとりから、NHKがMITに掛け合うも、MITからは「意思決定には時間がかかる」とのこと。当時のNHK産業科学部は、単純な知識の提供ではなく、創造的な番組製作を模索しており、東工大のものづくり授業をもとに番組を製作することを決める。
そのとき、競技参加者を高専生にするアイデアが取り入れられた。
NHKから高専各校への依頼書には、次のような文言が記されていた。
競技は1988年8月11日にNHKのスタジオで開かれ、一週間後の18日に放映された。
番組製作期間の短さも驚きだが、NHKから高専サイドへの最初の打診は同年6月半ばになされており、学生たちが2ヵ月足らずでアイデア出しから製作まで仕上げたこと、各方面への調整や準備作業が進められたのも大きな驚きである。このとき、森氏に相談を持ちかけたのが、NHK産業科学部の谷田部雅嗣氏(当時ディレクター)と木内美明氏(当時デスク)、「高専」というアイデアを出したのが当時プロデューサーの園部純郎氏だ。
だが、この番組の正式名称は、「アイデア対決! 独創コンテスト~乾電池カー・スピードレース~」である。「ロボットコンテスト」の名はどこにもない。「第1回」とも銘打たれてはおらず、あくまで単発の番組として企画・製作された。
そこに、「毎年開催」というイベント化と、「ロボット」の要素を持ち込んだのは、NHK産業科学部・木内氏と、
小野直路氏(当時プロデューサー)の発案によるところが大きい。「乾電池カー」の番組が好評であったため、続編の製作を企画する過程で、「毎年開催」のイベントに発展、製作物も「ロボット」へと、より広範な技術が求められるものに変わった。これが、「アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト」(高専ロボコン)の始まりの歴史である。
なお、第2回大会(1989年)は横浜の新都市ホールで開催され20校が参加。第3回(1990年)から全高専(当時62校)が参加し、会場の国立代々木競技場第二体育館(東京都渋谷区)に集結した。そして第4回(1991年)から、全国8地区で地区大会が行われ、全国大会が国技館で開催されるようになった。
『闘え!高専ロボコン ロボットにかける青春』(萱原正嗣著・全国高等専門学校ロボットコンテスト事務局 監修)より抜粋。
なお、付録の年鑑では、第1回目から29回目までの伝説のロボットも紹介されている。
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