【コロナと向き合う】今こそ日本人の創造力を問う「近代日本医学のふるさと」北里柴三郎記念館を訪ねて《荒井広幸のふるさと青い鳥》
脚気論争と細菌学……日本医学の原点を見る
人は誰でも「ふるさと」を持つ。それは「郷土」であり、私たち日本人が歩んだ「道」であり、知恵でもある。今回は日本医学の原点を辿り、予防の観点からコロナ後を生き抜く道を見出していく。
——本連載は各界の専門家をお招きし、「対話」を通して私たちの歴史に蓄積された知恵(ふるさと)を学び直すことで「先例なき時代」を生きるための柔軟な思考(青い鳥)を培(つちか)うことをねらいとしている。
第2回目は公衆衛生学と地域医療学の第一人者でもある放送大学教授で医学博士の田城孝雄さんをお招きし、「近代日本医学のふるさと」北里柴三郎記念館を訪ねた。
■Wish(ウィッシュ)コロナ 明るい未来への布石
荒井 新型コロナウイルス感染症が世界中で蔓延(まんえん)し半年以上が経ちました。感染者数は増えているもののコロナと向き合う心構えや態勢も整ってきたと思います。
私は、今、こうした状況をWish(ウィッシュ)コロナ、つまり感染症と共生しながらさらに明るい希望を持つことができる社会に進化させていくことが歴史的にできると考えております。政府の医療と地域作り政策にかかわり、包括的な医療福祉健康問題の第一人者である先生はどう捉(とら)えておりますか。
田城 明るい未来という点では二つのことが言えると思います。
一つは感染症との闘いの歴史で人類が過去に乗り越えられなかったことはないのです。ペスト、結核、ハンセン病、スペイン風邪そして新型コロナウイルスも必ず克服できると思います。
もう一つは、地域活性化や働き方など社会的にみれば、テレワークの推進で通勤の負担が軽減され、地域で過ごす時間が増えるなど地産地消の機会が増えたり、それにともない東京一極集中の見直しなどコロナをきっかけに真剣に見直されてきています。その意味で明るい未来への方向性も見えてきたと思います。
荒井 新型コロナとの闘いという観点からみるとどうでしょうか。
田城 100年前のスペイン風邪と比較された2009年の新型インフルエンザと同様に、レベルダウンされる可能性もあるのかもしれません。
荒井 今回のコロナも様々な専門の先生方が取り組んでおられますが、私たちの難病克服の歴史において教訓となる事件がありました。明治時代の「脚気(かっけ)」【*注1】対策の歴史です。
私自身、政治家として仕事する上で理論が現実と乖離(かいり)する悲劇として脚気問題を捉えていました。日本における典型的な「失敗のふるさと」だと思うのですが。
田城 明治時代の脚気論争として有名ですね。解説しますが、脚気という病気は副食を摂(と)らずに主食の白米を食べる日本人の食習慣が主因となる生活習慣病でもありました。
この脚気の原因をめぐり、国家として医学の近代化を進めていた日本で大きな論争(脚気論争)となったのです。特に軍隊での兵食をめぐり、当時の帝国陸軍(=脚気細菌・伝染病説)と海軍(=栄養欠陥説)の組織同士の衝突です。*【注2】
荒井 陸軍軍医の森林太郎(もりりんたろう)(鴎外)たちの「白米派」と、海軍軍医の高木兼寛(たかぎかねひろ)の「麦飯派」対立ですね。
科学の真実は、海軍の高木説にあったわけですが、陸軍の白米採用で日清・日露戦争で多くの兵隊が脚気で亡くなる悲劇を生みました。なんと日露戦争の戦死者が5万人弱のうち半分以上の2・8万弱が脚気が原因と言われています。
田城 脚気の原因は白米主食のビタミンの欠乏と後(のち)に立証されるわけですが、この脚気論争は、日本近代医学の出自の問題と大きく関わってきます。
日本の医学は漢方と蘭学で後者の科学的近代化が趨勢(すうせい)を占めることで発達してきました。例えば、長崎の鳴滝塾、大阪の適塾、江戸の和田塾(現在の順天堂大学)などはみな蘭方医育成の私塾で、明治維新期の戊辰(ぼしん)戦争では西洋医学が主流となり、「病院」という概念が生まれます。
日本の近代医学はその後、東京大学医学部が中心となり、その学問はドイツ(プロイセン)を模範とし、学理は絶対でした。陸軍省医務局も東大閥でした。「脚気細菌説」がドイツへ留学した東大卒の緒方正規(おがたまさのり)に唱えられるや海軍の脚気の栄養説は黙殺されたわけです。
荒井 海軍軍医の高木兼寛は、薩摩藩出身で鹿児島医学校でイギリス留学もしていますね。栄養説を主張する高木の見識は、海軍兵食の洋食化による世界初の疫学介入実験により軍艦「筑波」の遠洋航海で脚気死亡者ゼロを実証しました。高木の実証主義の方法に私たちの病気に対するあり方、現在の教訓はなんだといえるでしょうか。
===【注1】=== ◉脚気(かっけ)とは… 脚気とは慢性的なビタミンB1の欠乏によって末梢神経障害をきたす疾患。重度の場合は心不全(脚気衝心)を起こし、死に至る場合もある。白米を主食として副食を食べない日本人の食習慣に起因した。江戸時代「江戸わずらい」とも呼ばれ、13代将軍・家定、14代将軍・家茂も脚気衝心が死因とされ、明治期には「結核」と並ぶ二大国民病となった。 ===【注2】=== ◉脚気論争とは… 脚気の原因をめぐる明治時代に起きた日本初の医学論争。最単純化すれば「脚気」の原因は?細菌説(東京帝大医学部&陸軍)と?栄養不足説(研究者&海軍)の二派の論争。結論は後者が科学的実証により勝利するが、論争の趨勢は常に? 細菌説にあった。近代日本医学において東大医学部の権威とその根幹となったドイツ病理の理論は絶対視されていたからである。
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『一個人』2021年冬号に連載中の「ふるさと青い鳥」。今回は、日本近代産業の歴史を担った東芝の創業者のひとり、「からくり儀右衛門」こと田中久重の「技術」に迫りました。 https://www.bestsellers.co.jp/ud/magazine/%e4%b8%80%e5%80%8b%e4%ba%ba2021%e5%b9%b4%e5%86%ac%e5%8f%b7