関ケ原の影の功労者、黒田長政はファザコンだった?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第23回 ~黒田長政~
歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)、また歴史上の人物同士の相性を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください。
現在公開中の映画「関ヶ原」。その勢いによりさらなる注目を集めている戦国武将から、東軍で活躍した、黒田官兵衛の嫡男、黒田長政を四柱推命鑑定する。
黒田 長政(1568-1623)
生年月日:永禄11年12月3日(グレゴリオ暦:1568年12月31日)
それでは、上の命式表を見ながら鑑定していく。
○日柱の干支(かんし):「戊寅」(つちのえとら)
これは「春」の「山」を表す。「山」は常にどっしり構えている。細かいことに動じない、肝の据わった人物だったのだろうか。また、春の山というと、自然の息吹を求めて、また、山菜やタケノコ等の春の恵を求めて大勢の人達が集うイメージ。大勢の人達に慕われる存在だったのだろう。
なお、「戊寅」は織田信長と同じ。このように日柱に同じ干支を持つ人を「律音(りっちん)」といい、60人に1人の気が合う相性。似たようなタイプのため、一緒に組むとビジネス等で成功しやすい。とは言うものの、長政にとって、信長は幼少期に命を追われた恐ろしき武将だったに違いない。
長政の父、官兵衛が信長に仕え、羽柴秀吉の軍師になると、長政(幼名:松寿丸)は信長の人質として羽柴秀吉に預けられた。しかし、官兵衛が荒木村重に拘束され戻らないとなると、処刑するように命じられた。竹中半兵衛の機転で、何とか命を長らえているものの、まさか相性がよかったとは。一武将として2人が出会っていたとしたら全く違った運命をたどったことになったかもしれない。