今川義元は勇敢だったかも・桶狭間古戦場
鈴木輝一郎 戦国武将の史跡を巡る 第36回
岐阜在中の歴史作家・鈴木輝一郎がゆるりとめぐる、戦国武将の史跡。
つい見落としてしまいがちな渋い史跡の数々を自らの足で訪ね、
一つ一つねぶるように味わい倒すルポルタージュ・ブログシリーズ開幕!
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義元が進んだ桶狭間の道はけっこう不安
桶狭間を現地踏査すると「桶狭間古戦場」は2箇所あります。史跡桶狭間古戦場伝承地というのがこれ。
もうひとつ、「桶狭間古戦場公園」というのがこれ。
このふたつはごくちかくにあるので、「どちらが本物」とかいうよりも、「どちらも本物」と解釈するのが正解かな?
桶狭間の合戦は織田信長と今川義元との直接対決ばかりがクローズアップされがちですけど、今川義元軍は実働部隊2万5千、輸送部隊などをふくめると4万5千ぐらいの大軍だったんで、当然作戦の展開場所も広いですわな。
今川義元が本陣を置いた沓掛城から桶狭間まで、カーナビを使って車で18分。桶狭間は尾張と三河の境界線上で、けっこう起伏がある。ずっと住宅地なんで、当時の面影はのこっていませんが。ただ、起伏のせいで意外と先がみえない。沓掛城から桶狭間まで、カーナビがついててもけっこう気分が迷います。未知の道は長く感じるものです。
今川義元側のたどった経路を走ってみると「初めて踏んだ土地で、道案内が信用できるかどうかもわからないのに、よく義元は前進できたもんだなあ」なんて痛感します。
今川義元は信長の引き立て役にさせられて、バカ殿扱いされることがけっこうあるんですが、実際に現場にいくと、義元の肝っ玉の太さを感じたりします。こういうことが現地踏査の重要なところ。
桶狭間古戦場公園には今川義元・織田信長像が建てられてます。古戦場公園にはジオラマやパンフレットなどがあります。
それにしても古戦場や城址の写真、「わかりやすいアングル」ってだいたい決まっていて、誰が撮っても同じに見えるところが難点。
せっかく自分で足を運んで現地写真を撮っているのにね……。