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学力テストで高得点をとる子どもは「能力が高い」といえるのか

【ゆとりからアクティブ・ラーニングまで】教育改革の9割が間違い 第6回

2020年教育改革の目玉とされている「アクティブ・ラーニング」。従来の詰め込み式教育をやめて、生徒による主体的な学習へと転換させるものだが、はたして効果はあるのだろうか。2017年10月に『教育改革の9割は間違い』を上梓する諏訪哲二氏に聞いた。 

◆子どもの能力はテストで測れない

「行政のちから」は学校システムを管理しており、教育内容の決定(「指導要領」の策定)や教師の人事権を握っていることは確かである。

 だが、だからといって、決定的な力を持っているとはいえない。子どもと対面しているのは生身の教師だからである。この力は侮れない。

 子どもの本体はまことに捉えがたい。文書化できない捉えがたさがある。実践の世界はそういう捉えどころのない世界でもある。

 また、「行政のちから」は「教師のちから」に膨大な量の報告書や自己査定書や指導計画などを提出させているが、「教師のちから」の独自性や教育力はけっして書類に還元できない異質な世界を構成している。

 従って、「行政のちから」の効果は上がらない。「行政のちから」はけっして「教師のちから」を理解し、把握し、意図どおりに動かすことはできない。

 それは結局、人間が人間を相手にしている世界だからとしかいいようがない。人間というものは類としても個体としても依然として大きな謎なのである。

 教師も子どもも不確定、不安定である。「教師はこれこれである存在である」、「子どもはしかじかの存在である」というテーゼをいくら作ろうと現実とはけっして適合しない。

 教育は教師の個々が個性的におこない、その成果は子どもの個々それぞれに内面化されるものである。子どもはみんな同じ量や質の教育を受け取ることはない。

 教師の働きかけも子どもの成長も、法則化できたり、数量化されたりするものではない。人間的成長や世界認識の多面化・深化は数値化できない。

 だから、学力テストのように集団として数値化できる計量システムを出して成果を測るしかないのであろう。

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諏訪 哲二

すわ てつじ

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~プロフィール~

1941年千葉県生まれ。「プロ教師の会」名誉会長。作家。東京教育大学文学部卒業。埼玉県立川越女子高校教諭を2001年3月に定年退職。「プロ教師の会」は、80年代後半に反響を呼んだ『ザ・中学教師』シリーズ(宝島社)をはじめとして、長年にわたり教育分野で問題提起を続けている。著書に『なぜ勉強させるのか?』『間違いだらけの教育論』(以上、光文社新書)、『オレ様化する子どもたち』『「プロ教師」の流儀』(以上、中公新書ラクレ)など。


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