「華族」になれなかった“維新の三傑”
現代に続く名家・名門の名字と家紋②
<公爵に上り詰めた明治の政治家と軍人の家紋>
●伊東家「上がり藤」
下がり藤を嫌った家は、巻き花房が上を向いた上がり藤紋を用いた。博文の父が長州藩の中間・伊藤家に養子に入った後に用いた家紋。
●山県家「丸に三つ鱗」
魚の鱗をデザイン化した鱗紋は、「太平記」に北条時政の旗印として記され、北条一族が家紋に用いた。
●桂家「花菱」
唐花菱とも呼ぶ家紋で、幾何学図形の菱形を四等分した割菱と、花形を合わせて図案化した。「花菱」は実在しない。
●大山家「丸に隅立て四ツ目結」
布を染めるときに括って染め残す「目結」を紋章化。水平から45度傾けたものを「角=隅立て目結」という。
●松方家「抱き菊の葉に抱き茗荷」
神仏の守護を祈願する「冥加」と音が同じ植物「茗荷」を図案化した家紋。茗荷は摩陀羅神(またらしん)の神紋だ。