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近代日本の経済を牽引した巨大財閥の名家と、その家紋

現代に続く名家・名門の名字と家紋③

名家・名門はつねに社会の重責を担いながら、現代まで、家の権威と名誉を継承してきた。華麗なる一族が歴史に残した大きな足跡を家の象徴である家紋とともに振り返る。

監修:武光誠
1950年生まれ。東京大学人文系大学院博士課程修了。文学博士。明治学院大学教授。専攻は日本古代史。著書に『日本人なら知っておきたい名家・名門』(河出書房新社)『日本人が知らない家紋の秘密』(大和書房)他多数がある。

 明治維新後、名家は一変した。
「士農工商の身分制度で蔑ろにされていた商人たちが、日本を近代化し、産業革命を実務的に主導しました。それが四大財閥と呼ばれる三井家、住友家、岩崎家、安田家で、財閥が名家になりました。政治家や華族と婚姻関係を結び、爵位を得た人もいます」(武光誠さん)

 明治維新を資金面から援助し、新政府の財政政策に協力した「政商」たちは勢力を伸ばし、ついに名家となった。だが、破産した財閥もある。
「昭和2年(1927)の大恐慌で倒産した鈴木商店などが典型でしょうが、いくら資産があっても“名家”と呼ばれるには条件があるように思います」
 それは一族の誉れを尊ぶ心であり、正直、質素、広い度量、責任感、弱い人々への労りといった「徳目」を備えていることだ、と武光さんはいう。

 さて、三井家は江戸時代の延宝元年(1673)に三井高利が江戸日本橋に創業した呉服店越後屋が、資金繰りに苦しむ大名家に金を貸付けて成功を収めた。明治になって、三井家は新貨幣鋳造の地金回収と新旧貨幣交換で巨利を確保し、三井銀行を創業。炭鉱、紡績、製紙、工業生産へと業種を拡げた。家紋は丸に井桁三で、家名を図像化した暖簾に始まる。

 近江の佐々木氏末裔という住友政友は寛永年間(1624〜44)に京で薬種を商った。養子の友以が銅吹きを始め、伊予国(愛媛県)の別子銅山を経営して栄えた。維新後は重工業に進出し、官僚出身者を経営トップの総理事に迎えている。家紋は太井桁。太井桁を採用した社章は、各社まちまちで太さなどが微妙に異なる。

 新興の岩崎家は、幕末に初代彌太郎が海運業に進出。台湾出兵や西南戦争を機に巨富を築いた。その後、造船所を入手し、重工業を中心に多角化。政財界の名門と結婚して閨閥を広げた。家紋は三階菱、社章はこれをアレンジしたものだ。

 安田善次郎は明治政府の発行した太政官札を買い集め、公債に投資して官金取扱業者となり、安田銀行や東京火災保険などを創業。家紋は輪違い紋。社章は秤の分銅を意匠にした安田分銅である。

 明治維新から大正時代、第二次世界大戦までの間にさまざまな分野で急速に成長し、名家の仲間入りした新興財閥は、先の三井、三菱などと合わせて「十大財閥」と呼ばれた。両替店から証券に進出した野村、土木建設とホテル経営の大倉、銅山経営から機械金属工業へ伸びた古河、日立製作所や日産自動車を創業した鮎川、中島飛行機(現・すばる自動車)の中島、セメントの浅野の6家である。

 彼ら新興の名家は一代で巨大な富を手中にして、国政に参加するなど、多方面で日本の近代化に貢献したのだ。

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