日本人は「劣等感から生れた不自然な自己過信」を卒業しなかった〜三島由紀夫が叱った現代日本②
日本人は豚になる〜三島由紀夫の予言
■自画自賛する人たち
三島は言う。
・・・・・・・・・・
低開発国の貧しい国の愛国心は、自国をむりやり世界の大国と信じ込みたがるところに生れるが、かういふ劣等感から生れた不自然な自己過信は、個人でもよく見られる例だ。私は日本および日本人は、すでにそれを卒業してゐると考へている。ただ無言の自信をもつて、偉ぶりもしないで、ドスンと構へてゐればいいのである。さうすれば、向うからあいさつにやつてくる。貫禄といふものは、からゐばりでつくるものではない。
そして、この文化的混乱の果てに、いつか日本は、独特の繊細鋭敏な美的感覚を働かせて、様式的統一ある文化を造り出し、すべて美の視点から、道徳、教育、芸術、武技、競技、作法、その他をみがき上げるにちがひない。できぬことはない。かつて日本人は一度さういふものを持つていたのである。(「日本への信条」)
・・・・・・・・・・
この三島の判断は甘かったとしか言いようがない。
日本人は「劣等感から生れた不自然な自己過信」を卒業しなかった。
そして文化や美の視点を破壊することにかけては、圧倒的な才能をみがき上げたのである。
逆に言えば、三島の時代にはこうした希望がまだ残っていたということだ。
だから私は次のような文章には、三島の趣旨と逆の印象を抱くようになった。
・・・・・・・・・・
外国へ行くと愛国者になるというが、一概にさうしたものでもあるまい。日本にいて、日本のよさがわからないやうな人が、もつと遠くへ行つてわかるやうになるといふ理屈はないのである。それは大方、やつぱり刺身が恋しいとか、おみおつけが恋しいとかといふ、他愛のない愛国心であろう。(「お茶漬けナショナリズム」)
・・・・・・・・・・
私が学生の頃は、海外に行くと物価が安いなと感じた。今は逆になりつつある。
飲み歩くのには日本はとてもいい国である。
各国の料理があり、洗練されている店もそれなりにある。
きちんとした鮨屋では職人がきれいに包丁を使っている。
平成の三〇年で国家が破壊しつくされた現在、「お茶漬けナショナリズム」「刺身が恋しいといふ他愛のない愛国心」は日本人の最後の牙城になるのかもしれない。
(適菜収著『日本人は豚になる 三島由紀夫の予言』[KKベストセラーズ刊]より再構成)
- 1
- 2