カズオ・イシグロ「名翻訳家」の意外な過去。『日の名残り』に出会うまで
文学ではなく、コンピューターマニュアルを訳していた 土屋政雄氏インタビュー①
“computer”は『電子計算機』と訳す。IBM語の存在
面白いのが、当時IBMは外資企業として日本社会に溶け込まねばという思いからか、何でもかんでも日本語に訳す決まりがあったこと。たとえば“computer”は『電子計算機』、“application”は『適用業務』といった具合です。いまならそのまま『コンピューター』、『アプリケーション』で通じますよね? でも当時は、そういうIBM語が無数にあって、翻訳者はそれを覚えて使う必要がありました」
そうしたマニュアル翻訳特有のジレンマと闘いながら、土屋さんは「正確な翻訳とは何か」ということを考えることになったという。
「"正確”と言いますが、本当に正確さを求めるのであれば原文マニュアルのままでいいわけですよ。しかし読者のために、日本語という英語と全く性格の違う言葉に直さなくてはいけない。私が考えたのは、『これをしたら~こうなる』というプロセス⇒結果が一致すればいいのだ、ということです。どういうことかと言うと、仮に『INPUTというスイッチを押せばこうなる』という英文があったとき、これをたとえば『赤いボタンを押せばこうなる』と訳したりしました。INPUTボタンが赤ければ、色で知ってもらった方が分かりやすい。英文を一度自分の中で咀嚼し、ポイントを理解して、自然な日本語に直す。これはもちろん文芸翻訳をするようになってからも意識していることです」
確かに『日の名残り』を読んでも、原文による所も大きいと思うが、生硬な、いかにも翻訳調の文章ではない。すっと頭の中に日本語が入り、情景がうかんでくるキレイな文章である。そこには翻訳家のこだわりがあった。
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