監督が求めることと自分のやりたいこと。アントラーズで抜擢され、干された監督との付き合い方
岩政大樹が書き下ろす選手と監督の距離感
監督に「干される」経験をすることに
それでも鹿島での最後の年となった2013年シーズンでは、俗に言う、監督に「干される」経験をすることになりました。当時の監督はトニーニョ・セレーゾ監督でした。
セレーゾ監督は僕をプロデビューさせてくれた監督です。1年目、僕はピッチ内でもピッチ外でもよくチームメイトからいじられていました。僕も新人だったので、それ自体は決して居心地が悪かったわけではありませんが、選手たちが僕を信頼していないことは明らかでした。そんな下手くそな男に真っ先に期待してくれたのがセレーゾ監督でした。毎日つきっきりで居残り練習をしてくださり、試合でもタイミングを見ながら大事に使ってくれました。
そんな彼が帰還したシーズン。今振り返ってもやり切れない気持ちが詰まった息苦しい一年でした。
最初のつまづきは開幕直前の肉離れでした。宮崎キャンプを終えて鹿島に戻ってきた後に受傷したその怪我は、僕には珍しく重めの肉離れでした。開幕戦には肉離れが完治どころか全く治っていない状態で出場しました。そんな状態だったので、試合中にまた出血をして悪化、そしてまた治らないまま試合に出る。そんなことを5月くらいまで繰り返してしまいました。
それは、それまで続けてきた僕のやり方でしたが、セレーゾ監督にはどう見えたのか。僕も鹿島でのキャリアの終焉を考えていた時代です。「それまで続けてきた僕のやり方」という判断は今でも間違いではなかったと思っていますが、僕とセレーゾ監督との間で少しだけボタンのかけ違いが起こっていたのかもしれません。
かけ違ったボタンは様々なところで姿を見せ始めました。