監督が求めることと自分のやりたいこと。アントラーズで抜擢され、干された監督との付き合い方
岩政大樹が書き下ろす選手と監督の距離感
自分の人生に対して「不当」だと思っていた
僕はそれを「不当」だと思っていました。決してセレーゾ監督に対して、ではありません。自分の人生に対して、です。
セレーゾ監督は監督として自分のやり方を貫いたに過ぎません。僕もまた選手として自分のやり方を貫きました。「帰還」とはいえ7年の時を経ていたので、新監督としてもっとうまくやるやり方はあったと思います。しかし、僕もベテランです。僕にはそれも分かった上で「それまで続けてきた僕のやり方」で生きたかったのです。そしてそれが必ず、若い選手たちと新しいチームを作る上でセレーゾ監督のためにもなる、と考えていました。
「不当」であるとは、ただ自分の人生に対して。僕が僕の人生に対して不当であると思える場合は必ず、その痛みに対比していい事が起こる。それを信じた先が、次の年にタイで成し遂げることができたタイトルでした。
と、今となっては思い出話で振り返ることができますが、僕も散々揺れ動く中で過ごした時間でした。「自分だってまだまだ輝きたい!」そんな思いは当然ありました。ただ、若い時の「選手として成功したい」「輝きたい」が1番だった頃とは僕も違っていたんだと思います。
それはある意味、僕がもうJリーガーではなくなっていた、ということなのでしょう。そして、「それでいい」と、「それが僕のやり方だ」と決めつけた時点で、選手としての成功はもう終わっていたということなのでしょう。