関裕二先生インタビュー(後編)
「異端の古代史」シリーズ著者:関裕二先生インタビュー
Q6:最近、日本・海外問わずに、気になっている歴史のトピックなどはありますか?
一神教と多神教の違いもさることながら、一神教の矛盾が目に付きますね。世界が今、戦争も含めて一神教の論理で動いているじゃないですか。
その中に先進国の一つとして多神教の日本があって、右往左往しているわけです。
なぜ、右往左往しなければならないか?
それは一神教の世界の論理っていうのがどんなものか分かってないということがまずあります。また、そういった宗教の論理で世界が動いていると日本人は認識していないからではと思うのです。
まずは、世界の宗教と日本人の信仰の差を理解して、このまま一神教の論理で突き進んでいいのかというところまで考えなきゃいけないのではないかと思います。
いずれ、世界中を巻き込む危機が起きる可能性があります。そのときに日本人がどの様な立ち位置にいてどのような主張を発信していくのか・・・・。しっかりとした歴史観がないと説得力を持たないと思うんですよ。
世界史的に見れば、だいたい多神教の世界っていうのは一神教に浸食されています。
一神教が多神教を淘汰する歴史です。
本当に日本が多神教なのは奇跡的です。日本が島国だったということ、また、災害が多い国だったということが関係するのでしょう。
それは、一神教の唯一絶対の神が大自然を支配できるわけがないっていう感覚を、日本人は肌で分かっているからではないでしょうか。
科学がどんなに発達しても火山が爆発したら終わりだぞという様なことを遺伝子レベルで理解している。
ゆえに一神教の考え方に違和感を感じるのではないでしょうか。
ですから、むしろ世界のほうが狂っているって思うわけですよ。日本人は世界の紛争や揉め事に、相互理解をなぜしないのか?話し合いをなぜしないのか?と思っているのではないでしょうか。
だから平和憲法を絶対視する人が出てくるわけです。ただ、現実的には平和憲法だけじゃ、当然無理なわけで。また平和憲法を推し進めてもきっと理解されないでしょう。
世界に対し、戦争以外の方法を日本が提案するならまずは、一神教の理解を深める、そして、日本人自身の信仰の理解を深めることが大事なのではないでしょうか。
無意識なのか、意識的なのかはわからないですが、日本人が神社とか神道に興味を示すっていうのは、やっぱりどこかにそういった自分たちの考え方を見直し、本来持っている、信仰に対しての再確認があるのではとも思います。
Q7:最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。
一旦、日本人の本質とは何かを見直すべき時期なのではないでしょうか。
神道とは? 天皇とは? 原点に立ち返り整理する必要を感じます。
何度もいいますが、日本人自身が、日本人の信仰がなんなんだっていうことをよく分かっていないと思います。
日本人の信仰は「仏教」っていわれますが、本当にそうでしょうか?
ほとんどの日本人は仏式でお葬式を行います。それで、何となく納得しています。
でも日本の仏教って、天竺の国(インド)から来た仏教と全然違いますよね。
どうしてこんなに変化してしまったんだってことをたどっていくと、必ず、修験道に行きつくし、原始的な神道に行きつきます。
日本人の信仰は実は古代からぶれてないんです。
ぶれてないから信仰がないように見えるだけなんです。
日本人の信仰の根幹は現世利益です。
日々無事に生活できればいいですよと。災害が来ないように祈る。それだけで十分なんです。一神教の人たちは低俗な信仰だと現世利益を馬鹿にしますがね。
しかし、日本人の現世利益は、諦念と達観の上に存在するものです。それは無意味な争いを避ける考え方でもあるし、他者の考えを認める考え方でもあります。
この様な多神教の考え方は、世界の中でも財産といっていいものではないでしょうか。
むしろ、その考え方を日本人がきっちり世界に発信すべきだとも思います。
大航海時代から始まる、西洋世界の世界侵略の最終地は、その名が示す通り、“極東”、ユーラシア大陸最東端の日本でした。
その日本が植民地にならず、むしろ逆に西洋に並ぶ近代化を遂げ、西欧の列強と戦ったんです。これは奇跡の様な話でもあり、世界史の皮肉だと思いますね。
日本人は、その歴史にも誇りを持って、発言して欲しいと思います。
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