能登の津々浦々を結んでいた、のと鉄道能登線(旧国鉄能登線)【前編】
ぶらり大人の廃線旅 第21回
住民が行った駅前の除雪に感謝状
線路が新しいこともあり、内陸側をいくつもの短いトンネルで抜けているので食後は早々に羽根駅に向かって走った。羽根駅は海から少しばかり山側へ坂道を上ったところで、かつての「駅前広場」に向かって伸び放題の枝の陰に「明日へ亜走る のと鉄道」という看板があった。のと鉄道協力会・のと鉄道利用促進協議会・能都町が設置したものだが、存続はかなわず、今は空しく佇立している。
閉鎖された待合室の中には止まった時計とともに感謝状が2枚掲げられていたが、そのうち昭和43年(1968)4月14日付のものは、国鉄金沢鉄道管理局長から地元の羽根区長ほか一同に宛てたもの。「今冬の雪害に際しましては終始積極的に駅前広場等の除雪を行なわれ鉄道輸送の確保に多大の貢献をされました この御支援に対し心から感謝の意を表します」とある。まだ自家用車がそれほど普及していない当時、地区の住民がボランティアで駅前の除雪に取り組んだのだろう。大人の数だけ自動車が普及したといっても過言ではない現在とは世界が違う。