能登の津々浦々を結んでいた、のと鉄道能登線(旧国鉄能登線)【後編】
ぶらり大人の廃線旅 第22回
真脇集落から内陸へ!
海岸線が複雑に湾入した良港の真脇(まわき)集落から少し内陸へ入れば縄文真脇駅。すぐ裏手で縄文遺跡が発見されたことにちなんで昭和63年(1988)、のと鉄道へ移管の際に改称された。やはりホームが夏草に覆われているが、放置すればほどなく緑がすべての人工物を呑み込みそうで、モンスーン・アジアの植生の「実力」を感じる。
次は九十九湾小木(つくもわんおぎ)駅で、駅名の通り九十九湾の深い入江に守られた、これも天然の良港・小木の町の1キロほど内陸側にある。時計塔のあるモダンな駅舎は「下市之瀬集会場」という看板もあるから活用されているのだろう。ホームは島式で両側に線路があり、かつては急行も停車した。いずれにせよ、駅から町が遠いのは自動車時代では大きなハンディとなる。
この先は並行道路がないので海沿いを行くことにしよう。長尾(なご)のあたりでは浜に沿って歴史を感じさせる石積みの小さな船溜まりがあり、漁船を収納する舟屋がいくつもあった。自動車時代が来る前は、浦々を当たり前のように小船が往来していたことを偲ばせる施設である。能登線の駅は1キロ少々内陸側に入った白丸駅(国鉄時代は能登白丸)だが、そちらは見ずに松波(まつなみ)駅へ向かった。急行停車駅で、昭和60年(1985)の時刻表によれば穴水から58分ほど。今のバスだと速い便でも1時間20分ほどかかるので、公共交通の利用者にはサービスダウンである。
ここも鉄筋コンクリートの駅舎があって何かに使っているらしいが、ホームは錆が相当進んだ屋根が残り、行灯広告の箱だけがぶら下がっていた。だいぶ傷んでいるので、放置すればそのうち落下するかもしれない。この駅も手元の資料によれば昭和58年(1983)の乗降客数は954人(乗車のみだと約480人か)とあり、賑わっていた様子が偲ばれる。