稲作は縄文時代に伝わった!? 常識が変わる「末盧国」の遺跡巡り |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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稲作は縄文時代に伝わった!? 常識が変わる「末盧国」の遺跡巡り

古代遺跡の旅【第2回】 魏志倭人伝ゆかりの地を巡る。―その②―

■ここも訪ねたい!近隣のミュージアム

唐津市末盧館

日本最古の稲作遺跡である菜畑遺跡の出土品やジオラマ、資料などを展示。敷地内は遺跡公園として日本最古の稲作ムラの竪穴式住居や水田、縄文の森を復元している。
DATA:唐津市菜畑3359-2
           TEL/0955-73-3673 FAX/0955-73-3673 
     開館時間・9:00〜17:00 入館料・大人210円  休館・月曜日(祝日が月曜
           の場合は火曜日)、年末年始(12月29日~1月3日)

 


【古代旅の先達からのメッセージ】

◆今回の旅のナビゲーター
大阪府立弥生文化博物館 館長 禰冝田佳男(ねぎたよしお)先生 

「魏志倭人伝をめぐる旅」、いかがでしたでしょうか。現地に行くと新たな発見があります。今回の旅では糸島市の可也山(写真・Part1に記事を掲載)はその一つでした。邪馬台国時代の人々はこの山を見ていたのか?などと思いを馳せることができました。やっぱり旅はいいですね。では、また次の機会に!」



◆プロフィール
兵庫県生まれ、大阪大学(博士)。大阪府教育委員会、文化庁記念物課を経て、現職。
おもな著書に、『研究最前線邪馬台国いま何が、どこまで言えるのか』(共著)朝日新聞出版 2011年、『農耕文化の形成と近畿弥生社会』同成社 2019年など。

 

「魏志倭人伝ゆかりの地を巡る。Part1」にも登場した可也山。写真は渡来系の人々の墓域と考えられる志登支石墓群からの眺望。可也山という名は朝鮮の「伽耶国」を想像させ、糸島半島が古代から大陸と強い結びつきがあったと考えられる。「海からみたら、当時の卑弥呼の使者にとっての目標になった山ではないか?など、“妄想”ができると思います」 (禰冝田先生)

◆写真提供・唐津市 未来創生部 文化振興課
◆協力・株式会社国際交流サービス

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郡 麻江(こおり まえ)

こおり まえ

ライター、添乗員

古墳を愛するライター、時々、添乗員。京都在住。得意な伝統工芸関係の取材を中心に、「京都の人、モノ、コト」を主体とする仕事を続けながら、2018年、ライフワークと言えるテーマ「古墳」に出会う。同年、百舌鳥古市古墳群(2019年世界遺産登録)の古墳ガイドブック『ザ・古墳群 百舌鳥と古市89基』(140B)を、翌2019年、『都心から行ける日帰り古墳 関東1都6県の古墳と古墳群102』(ワニブックス)を取材・執筆。古墳や古代遺跡をテーマに、各地の古墳の取材活動を続ける。その縁で、世界遺産や古代遺産を中心にツアーを企画催行する株式会社国際交流サービスにて、古墳オタクとして古墳や古代遺跡を巡るツアーなどの添乗の仕事もスタートしている。

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