織田信長、豊臣秀吉、徳川家康……名だたるリーダー達のお手本とされた、毛利元就
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第25回 ~毛利元就~
次に、十二運星で性格とエネルギーを鑑定していく。
○冠帯(かんたい)
女王様の星。社交的で華やかさを好む。独立精神が旺盛で中年以降で成功する。
元就が華やかでおしゃれだったかどうかは定かではないが(肖像画を見る限りそのイメージはないが)、毛利家に次男として生まれた元就の成功が中年以降であったというのはその通りなのだろう。幼少期はまさに苦労の連続だった。
5歳で母を亡くし、10歳で父・弘元をアルコール中毒にて亡くした。後見役となった、井上元盛には、猿掛城・多治比300貫を横領され、城から追い出されてしまった。生活は困窮し、あばら屋で寝泊りしたことから領民から「乞食若殿」と呼ばれたともあるという。20歳で兄・興元をアルコール中毒で亡くし、その嫡男・幸松丸が家督を継いだ。しかし、幸松丸は若くして亡くなったため、27歳にしてやっと元就に家督が譲られることになった。毛利家の躍進はこの後のことだ。
○建禄(けんろく)
王子様の星。王子様は次の国の王様になるので、努力を怠ってはいけない。コツコツ努力をすることで成功するタイプ。
※冠帯と建禄は、王様の星である帝旺(ていおう)と合わせて、身強(みきょう)の星と呼ばれ、運勢エネルギーが強いため、ビジネス等で成功しやすい。これまで、大勢の歴史上の人物を鑑定してきたが、身強の星を3つ持っているのは元就が初めて。あの織田信長でさえ、帝旺が2つ(身強の星が2つ)だったし、徳川家康に至っては身強の星を一つも持ち合わせていない。エネルギーが強く、根っからのリーダータイプだったのだろう。回り回って巡るべく巡って来た家督といえる。
毛利元就は嫡男・隆元に以下のような訓戒を残している。「能や芸や慰め、何事も要らず。武略、計略、調略こそが肝要にて候。謀多きは勝ち、少なきは負ける。」この言葉に代表されるように元就の謀略家ぶりは、その後、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康等といった名だたるリーダー達のお手本とされた。
(父と兄を反面教師に)酒は飲まない等の、家康顔負けの健康オタクだった元就は最終的に75歳まで生きたことから知らない人も多かろうが、信長、秀吉、家康からすると、一世代、二世代早い武将である。まさに、元就こそ下剋上を築いたリーダーと言えよう。
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いてグレゴリオ暦に換算し鑑定している。
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分
主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。
自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。