プロ教師曰く。「説得と納得」は教育の堕落だ!
【ゆとりからアクティブ・ラーニングまで】教育改革の9割が間違い 第8回
説得ではなく、考えを述べるだけ
しかし、生徒を「そうしようとすること」と、「当然そうなるもの」と考えることには決定的な違いがある。「教師のちから」は「そうしようとする」が、「そうならないこと」も想定(許容)していなければならない。それが子どもという他者のあり方を大事にする(多様性を尊重する)態度であろう。そうでない「説得と納得」は一方的、一面的、非人間的なのだ。
つまり、「説得と納得」は教育の堕落である。
私は生徒を説得しようと思ったことはない。「私の考えはこうである」と述べるだけである。生徒が非行を犯した場合でも、学校側として「こう位置づける」と提示するだけであった。
生徒が同意してくれればそれにこしたことはないが、納得(生徒の内面の支配)を前提とするのではない。納得しなくとも指導処置(処分)をおこなうことは何回かあった。「説得と納得」は、教師が方針に掲げる限りどうしても抑圧的になる。教師に同調するまで説得が続くことになるから、近頃いうパワハラの可能性も出てくる。
さもなければ、生徒が買うもの(受け容れるもの、納得できるもの)しか提示できなくなり、教育要求のバーゲン(安売り)になってしまう(もっとも、いまバーゲンしないで教師をやることはできなくなっているが)。
<『教育改革の9割が間違い』より構成>