「原爆、終戦、独裁者ヒトラー最期の40時間の安息」1945(昭和20)年 【連載:死の百年史1921-2020】第1回 (宝泉薫)
連載:死の百年史1921-2020 (作家・宝泉薫)
■1945(昭和20)年原爆、終戦。独裁者、最期の40時間の安息
アドルフ・ヒトラー(享年56)、近衛文麿(享年54)など
昭和20年、西暦でいうところの1945年ほど、人間の死を考えるうえで重要な年はない。何しろ、第二次世界大戦が終結した年だ。世界の強国がそれぞれの立場と主張でもって激突したこの大戦争において、最後の敗者となったのが日本だった。国の内外で、大量かつさまざまな死が繰り広げられることとなる。
なかでも特筆すべきは、原爆による死だろう。8月上旬、米軍がいち早く開発した新兵器・原子爆弾が広島と長崎に1発ずつ投下され、年末までに21万人もの命が失われた。これほど効率的な大量殺戮は歴史上類を見ない。
残酷なのは、その「毒」の持久力だ。たとえば、宝塚のスターでもあった女優・園井恵子は地方公演の拠点にしていた広島で被爆。その11日後に「九死に一生を得た」として郷里の母親に手紙を書いている。
「三十三年前の、しかも八月六日、生まれた日に助かるなんて、ほんとうに生まれ変わったんですね。(略)ほんとうの健康に立ちかえる日も近いでしょう。そうしたら、元気で、もりもりやります。やりぬきます」
じつはその時点では、脱毛くらいしか症状が出ていなかったが、翌々日、本格的に原爆症を発症。高熱や下血、全身のかゆみなどに苦しみながら、そのまた翌々日の21日に亡くなった。
米軍による大量殺戮は他の多くの都市でも行なわれ、3月10日の東京大空襲では10万人以上の命が奪われている。また、唯一の国内戦となった沖縄での戦闘では、実質2ヶ月のあいだに20万人近い日本人が死んだ。
そんな戦争も8月15日に終わるが、その4ヶ月後の12月16日、青酸カリを飲んで自殺したのが近衛文麿である。昭和12年から16年にかけて二度、首相を務め、戦況を拡大させたとして責任を追及された。自殺した日はGHQから「A級戦犯」として出頭を命じられており、その前に命を絶ったかたちだ。
亡くなる前夜、次男に書き残した文章にはこんな一節が。
「僕は支那事変以来多くの政治上過誤を犯した。之に対しては深く責任を感じて居るが、所謂戦争犯罪人として米国の法廷に於て裁判を受けることは堪え難い事である」
勝者が敗者を裁くという、極めて不公正な極東国際軍事裁判へのせめてもの抗議だったともいえる。
近衛家は藤原氏から出た五摂家の筆頭であり、この年は初代・藤原鎌足がいわゆる大化の改新で権力の中枢に躍り出てからちょうど1300年目だった。歴史家の磯田道史は、藤原一族による長年の政治関与もこれにより終わったと指摘する。思えば、日米戦争というのも、王政的な文化が民主的な文化にとってかわられた象徴的出来事なのかもしれなかった。