短距離ながら見どころいっぱいの京急大師線
川崎大師の参拝がてら、短時間で楽しめるおすすめ路線
■短距離ながら見どころいっぱいの京急大師線
久しぶりに京急大師線を訪問した。産業道路駅という面白い名前の駅が2019年に地下にもぐり、大師橋駅と改名されたのが2020年3月のこと。どのように変わったのか確かめたかったのだが、コロナ禍で延び延びになってしまい、このほどようやく実現した次第である。
京急本線の快特に乗り、京急川崎駅で下車。高架のホームからエスカレータで降りると、地上にあるのが京急大師線の乗り場。4両編成の赤い電車が発車を待っていた。この路線は終点の小島新田駅まで所要時間わずか9分(上りは10分)ではあるが、各駅や沿線は見どころが多く、なかなか魅力的な路線である。
定時に駅を離れると、高架の本線から分かれて地上に下りてくる連絡線や電車が停まっている線路を避けるように右に曲がる。多摩川の堤防の脇に出るけれど、車内から水面は見えない。第一京浜と交差するあたりに、廃止となった六郷橋駅のホーム跡が残っているが、車内から確認するのは難しい。そしてS字カーブを過ぎると最初の停車駅港町に停車する。
港町駅手前のカーブあたりが絶好の撮影場所ということで降りてみたのだが、ホームに大きく掲げられた美空ひばりの歌「港町十三番地」の楽譜には驚いた。南口の天井付近には楽譜のオブジェがあるし、改札口付近には美空ひばりの等身大のパネルや歌詞、レコードのジャケットも展示してある。かつて、北口にはレコードを製作した日本コロムビアの工場があり、「港町」という題名は、この地に由来するという。また、戦前の旧駅名はコロムビア前駅であり、音楽とは浅からぬ縁の駅といえるのだ。
走行写真の撮影を終えて、先へ向かう。次は鈴木町駅。人名と思われる鈴木が町名とは不思議だと思ったら、駅前に事業所がある「味の素」の創業者鈴木三郎助に由来するとのことだった。
その次は川崎大師駅。線名にもなっているし、初詣では全国有数の参拝者数を誇っている大師に敬意を表して降りる。川崎大師の最寄り駅だけあって、寺社に因んだ朱色の柱の列が目を引く。また、初詣などで込み合うことを考慮して改札口は、大師線のほかの駅よりもかなり広い。
駅舎前広場の川崎寄りには、京急発祥の地という記念碑がある。大師線は1899年に大師電気鉄道として開業した京急最古の路線で、当初の営業区間は川崎から大師までだった。しかし、開業当初のほかの駅、川崎駅(のちの六郷橋駅)と池端駅は廃止となってしまったので、川崎大師駅のみが最古の駅ということになる。下車をしておいて、大師様にお参りしないでは罰があたりそうなので、参道を歩いて川崎大師に向かう。意外に距離があって10分近くかかる。参道の両側には久寿餅などの和菓子や赤い達磨を売る店が目に付く。参拝後は、大師公園のベンチで少々休憩したのち駅に戻って大師線の旅を再開した。
次の東門前駅を発車すると、2019年に完成したばかりの地下トンネルに突入する。かつては産業道路駅と言った大師橋駅の駅名標には、旧駅名・産業道路の表示が残っている。地上に出ると、駅周辺は工事中で新しい駅舎はまだできていない。駅横にあり廃止された踏切は、遮断機こそ撤去されたものの線路は残ったままだ。踏切が健在だった頃は、産業道路駅と小島新田駅の間は単線だったので、ローカル線の廃線跡みたいな雰囲気である。新たな駅名となった大師橋は、駅からは意外に距離がある。かつて、多摩川の向こう側にある学校に勤めていたころは、何回か大師橋を渡ったことがあったので、今回は橋まで行かないで駅に戻った。
地下に移設されたときに複線となった線路を進むと、すぐに地上に出てしばらく走るともう終点の小島新田駅だ。ホームの両側に線路が敷いてあるけれど、昼間は両側に電車が停まることはないようで、乗客を降ろし、新たな客が乗ってくると3分ほどですぐに折り返す。
終着駅なので、線路が途切れた先に改札口があり、突き当りの壁の向こうには何本もの線路が大師線とは直角に、ほぼ南北に延びている。JR貨物と神奈川臨海鉄道が利用している川崎貨物駅だ。甲高い機関車の汽笛が聞こえたので、大急ぎで目の前にある陸橋に上ってみる。まもなく、北の方からタンク車を何両もつないだ貨物列車が、凸型のディーゼル機関車に牽引されて到着した。近隣の工場との間を行き来しているもようである。
小島新田駅の周辺案内にキングスカイフロントという聞きなれない名前のスポットがあったのでのんびり散歩がてら訪ねてみた。途中で貨物線の踏切を渡り、交差点を横断して先へ進むとまだ工事中の何やら新しい建物群が見えてきた。各種研究施設が集積し、オープンイノベーション拠点として、これから発展していく模様だ。対岸が羽田空港なので、連絡橋が完成すれば空港とは至近距離となる。クルマやバスでのアクセスがメインとなろうが、中には小島新田駅経由で京急大師線を使う人もいるだろう。単なる工場への通勤路線から、幅広い人の利用も見込める鉄道へと脱皮するのかもしれない。
京急大師線で計画されていた、ほぼ全線地下化は見送りとなったけれど、川崎大師駅と東門前駅の地下化は計画通り進めるようだ。何年かかるか分からないけれど、特徴ある川崎大師駅の駅舎が消えることになるのは、ちょっと寂しい。しかし、歴史ある京急大師線が近代的路線となるのは歓迎すべきことで、その発展に期待したいと思う。