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ヒロシ 突如ブレイクでも「危機感」しかなかった

ヒロシさん11月毎日更新 Q4 売れる前と、売れた後、どんな「変化」が“自分に”ありましたか?

シュールな自虐ネタが大ウケ。『笑いの金メダル』の出演をきっかけとして、ヒロシさんは2004年ごろから一気にブレイク。そこで慢心や気の緩みはなかったのだろうか。答えは意外にも…

ここで手綱を緩めたらまた元の生活に…

「ヒロシはいきなり売れて、調子乗っていたに違いない!」と思われる方もいるかもしれませんが、結局売れるのに10数年かかりましたから、自分としては全然そんなことはありませんでした。

 先の見えない中でずっとやってきて、苦労もありました。まあ今でこそ、他の芸人に比べたらその10数年という数字は短い方だとは言えますけどね。

 だから『笑いの金メダル』に出はじめて、道行く人に指をさされるようになっても、危機感を持っていたんです。ここで手綱を緩めたらまた元の生活に逆戻りだぞ、と。

 周りの芸人たちは「すごい売れてきたね」と言ってくるんですが、僕としては「あっこれは足を引っ張りにきたな」という心境でした。油断させておいて、こっちに引っ張りにくる作戦だなと。当時一緒にライブに出ていた人たちは自分のネタをがスベッたことをお客さんのせいにしていてたりとか。とにかく、愚痴が多かったんです。彼らとは一線を引かないと売れるようにならないなと思って一切しゃべらないようにしていました。

 

ホスト時代の悔しさもあった

 

 ホスト経験も大きいかもしれません。僕、「ヒロシです」を作る前にホストを3年挟んでいるんです。その分、一緒にお笑いをやっていた人より3年遅れているという感覚があった。ホストの経験は美化したくないんです。そこで学んだものなんて何もなくて、単純にお笑いをやりたくてもやれない3年間でした。3年あったらどれだけネタを作れたか、どれだけバイトできたか、という後悔しかないですね。

 そうやって抑圧された3年間。またお笑いを始めたときは32歳になっていました。そこからはもう危機感だけですね。後々TVに出れるようになってからも、「確実に売れた」と言えるまでは安心できないぞという思いでした。

明日の質問は…〈Q5 芸人人生の頂点はいつですか?〉です。
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撮影協力:東京ベイ有明ワシントンホテル

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ヒロシ

ひろし

ヒロシ・コーポレーション所属(サンミュージック企画業務提携)

お笑い芸人。漫談師、ベーシスト、俳優。


 



本名、齊藤 健一(さいとう けんいち)。 熊本県荒尾市出身(福岡県大牟田市生まれ)。 九州産業大学商学部商学科卒業。身長175センチメートル、体重70キログラム、血液型はO型。 趣味は釣り、キャンプ、キャンプグッズ集め、家庭菜園、バンド活動(ベース担当)。特技は「あるんだったらテレビに出てるよね」(ヒロシ談)。小型船舶操縦免許取得。自身のいらだちを熊本弁でつぶやく「ヒロシです」が人気を博し、一躍お茶の間の人気者に。最近では、カラオケ喫茶「ヒロシの店」をオープンさせるなど活動の幅を広げている。


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