歴史の舞台、遙かなる清洲城へ |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

歴史の舞台、遙かなる清洲城へ

季節と時節でつづる戦国おりおり第315回

 JRでの移動が続きます。大曽根から名古屋駅に出、東海道本線へ乗り換え。岐阜行きと同じコースですね。

 ただ、今回は途中で下車します。清洲です。清洲城です。名古屋駅から二駅目なのであっという間。あ、清洲城が右手に見えました!……通過して……通過して……どんどん遠ざかって行きます。清洲駅と清洲城ってすごく離れてるんですね……。

 駅に降り立つと、ここもまたなんとも閑寂な…バスどころかタクシーも寄らない感じ……歩くしかありません。

 

 ともかくまだまだ夏で猛暑日だったので、途中なんども遭難しかけます。こういう案内があると、「あぁ自分は見捨てられていないんだ」と力づけられることおびただしいので、どんどん増やしていただきたい。

 30分近く照りつける太陽の下を歩いて、ようやく清洲城跡到着。

 こんなお社があります。織田信長を祀るものとのこと。弘治元年(1555)にこの城を奪った信長は、以後永禄6年(1563)に小牧山城を築くまでここを本拠とし、桶狭間合戦にも出陣。その後、天正10年(1582)本能寺の変後、羽柴秀吉と柴田勝家が織田家家督をめぐって駆け引きを繰り広げた清洲会議の舞台ともなります。

 一角に再現された野面積みの石垣。本丸南側にあたると思われ、五条川の護岸工事で見つかったものを復元しているのですが、無加工もしくは荒削りの石材が用いられており、信長自身の工事、あるいは天正14年(1586)に信長の次男の信雄による改修のいずれかは判断が難しいと思います。

 

KEYWORDS:

オススメ記事

橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


この著者の記事一覧