学校では絶対教えてくれない真実! これが低スペック女子の「実践可能」なサバイバル術(藤森かよこ【馬鹿ブス貧乏】①)
◼︎たとえば本多静六著『私の財産告白』
貧乏な人が読むべき古典的自己啓発本に、本多静六(ほんだ・せいろく)(1866-1952)の『私の財産告白』(実業之日本社文庫、2013年)がある。 1951年(昭和26年)出版以来、21世紀の今にいたるまで版を重ねてきた知る人ぞ知る名著だ。
ちょっと話が長くなる。しばし我慢して読んでください。
『私の財産告白』の著者の本多氏は、苦学のすえに東京農林学校(東京帝国大学農学部の前身)で学んだ。ドイツに留学して林学を学んだ。帰国後は 、日比谷公園を始めとして日本中のほとんどの大公園を設計し、「日本の公園の父」と呼ばれた。
そもそも明治時代になるまで、日本には「公園」というものはなかった。領主の領地と私有地があるだけで、誰でも無料でウロチョロしていい公園 は存在しなかった。だから、現在にまで残る大きな公園を設計した本多氏の業績はすごい。福岡の大濠(おおほり)公園も名古屋の鶴舞(つるま)公園も 本多氏の設計による。
そのほかに、本多氏は、東京駅丸の内駅前広場の設計をした。関東大震災からの復興原案も作成した。
本多氏は、ドイツ留学時代に指導を仰いだドイツ人教授の生きかたに感銘を受けた。ドイツの一流大学の教授は、ただの専門馬鹿の浮世離れしてい る学者ではなかった。自身の自由な学問研究のための金銭管理や資産形成にも怠(おこた)りなかった。
確かに、いまどきの日本の大学の研究者のように、研究費や科研費(文部科学省と日本学術振興会が担当する学術研究助成基金助成金や科学研究費 補助金のこと)だの民間の補助金だの寄付だの他人のカネをあてにしていては、真に自由な学問研究はできない。科研費や補助金の審査に通過しやすい申請書を作成しなくては、科研費も補助金も獲得できない。
いくら意義ある研究でも、「大麻の安全性とその有効利用」とか、「疾病(しっぺい)製造装置としての定期集団健康診断」とか「政府崩壊後の社会 構築の方法」とか「日本属国脱却法研究」とか「日本支配層とイルミナティの連携」とか「横隔膜(おうかくまく)活用による男性妊娠法研究」という テーマは、おそらく日本学術振興会によって採択(さいたく)されないだろう。
また審査する研究者の専門分野の存在理由を脅(おびや)かす類の研究テーマも採択されないだろう。「文学は価値があるが文学研究は趣味でしかな いので、文学研究に科研費投入は公費横領であることを証明する研究」なんて研究は採択されない。審査するのが文学研究者ならば。
ところが、さすがに本多氏は慧眼(けいがん)で独立独歩の気概(きがい)ある方だった。ほんとうの研究者になるには、自分の自由になる自分自身の 資産を形成することが必要だと考えたのだから。
で、帰国後は、夫人の協力を得て、「月給4分の1天引き貯金」を実践した。40代からは株式投資も始め資産を増やした。山林も購入した。売れる 書籍の原稿を毎日一ページ書くことを日課とした。著書は370冊を超えるまでにいたった。
おかげで、本多氏は海外調査も自費で何度もできた。それも一流ホテルに宿泊した。日本人として堂々と臆することなく威(い)を張るために。公金 である科研費を使って海外の学会に出席と言いつつ物見遊山(ものみゆさん)しているような類(たぐい)の現代の日本の大学教授とは、本多氏は志(こころざし)が違った。
なのに、そこまでして築いた資産を、本多静六氏は東京帝国大学停年時には全額寄付した。本多氏は、かくも非凡な研究者だった。
著者は本多氏の生き方に感動した。しかし、本多氏の名著は、著者にとっては猫に小判だった。デブ女にピンヒールだった。
著者は、この名著を何度も読み返した。しかし、月給の25%預金などできたためしがなかった。こんなに単純なことでさえ実践できなかった。
いかに名著でも、いかに確実な方法が提案されていても、著者のようなスペックの低い人間には実現不可能なのだ。
この世に出版物は多い。しかし、ほんとうにスペックの低い人間にとって実践可能な方法は書いてくれていない。
- 1
- 2
KEYWORDS:
年末年始「最大」の問題作
低スペック女子(馬鹿ブス貧乏)
「ホンネ」の生き残り術第2弾‼️
藤森かよこ・著
『馬鹿ブス貧乏な私たちを待つ ろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください。』
12月21日より全国書店・アマゾンほかにて発売‼️