日本語の破壊者を礼賛してきた日本人~三島由紀夫が叱った現代日本⑩
日本人は豚になる~三島由紀夫の予言
■守るとは剣の論理である
三島は言う。
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文化人というのはいつものんきなんだが、資本家が金をこわがるように、どうして文化人は文化というものの、もろさ、弱さ、はかなさ、というものを感じないんだろうかね。
(中略)
いまでもぼくは、文化というものは、ほんとにどんな弱い女よりもか弱く、どんな破れやすい布よりも破れやすい、もう手にそうっと持ってにゃならんのだと思いますね。そっからすべてのものの危機感がくるんだし、それで、そのためには自分のからだを投げ出してもいいと思うしね。
そう思うんですが、ぼくにとっちゃそういうものの延長上に天皇だ何だという問題が出てくるんで、絹のようなもの、日本文化の中で一番デリケートな、一番やさしい、こわれやすいものというのは、頭の中にしじゅうあるんです。
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「文化を守る」とは分類し、博物館の陳列棚に飾ることではない。
それを守ろうとする人間の具体的行為にかかっている。
三島の小説『金閣寺』の主人公である若い僧は、金閣を焼くことを思いつく。
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考え進むうちに、諧謔的な気分さえ私を襲った。『金閣を焼けば』と独言した。『その教育的効果はいちじるしいものがあるだろう。そのおかげで人は、類推による不滅が何の意味ももたないことを学ぶからだ。ただ単に持続してきた、五百五十年のあいだ鏡湖池畔に立ちつづけてきたということが、何の保証にもならぬことを学ぶからだ。われわれの生存がその上に乗っかっている自明の前提が、明日にも崩れるという不安を学ぶからだ』
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ところが、今の世の中、そのような教育効果などありはしない。自明の前提などすでに崩れている。それに心を痛めることもない。「能や狂言が好きな人は変質者」と言い放ち、文楽をはじめとするわが国の伝統芸能に攻撃を仕掛けた男が大阪に出現したが、大衆は放火魔に声援を送ったのである。
文:適菜 収(作家)