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やっぱり織田信長と黒田父子は相性がよくない……戦国武将どうしの相性をまとめて鑑定

歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第27回 ~戦国武将まとめて相性鑑定 その2~

織田信長と黒田父子は相性がよくない!

 信長と官兵衛の相性は、25%、信長と長政の相性は30%であり、親子揃って信長とウマが合わないようである。
 官兵衛の主君・小寺政職の領地、播磨国は、東は信長、西は毛利輝元が支配しているという微妙な場所にあったが、官兵衛は政職と家臣団を説得の上、1575年に信長に謁見し、臣従することになった。1577年には人質として、嫡男・長政(幼名・松寿丸)を織田家に差し出している。しかし、1578年、織田家の家臣・荒木村重が離反して毛利家につき、主君の小寺政職も呼応しようとした。官兵衛はこれを回避するべく、村重の説得のため有岡城に入るが、1年間土牢に幽閉され、外部と連絡が取れなくなってしまう。

 官兵衛が有岡城から戻って来ないのは、織田家への裏切りがあったものと信長は大激怒。人質の長政(松寿丸)を処刑するよう命じる。実際は、竹中半兵衛が密かに長政(松寿丸)をかばい、表向きは処刑したという虚偽の報告を行っていたため、かろうじて生き延びたものを、半兵衛がいなかったら、大事な大事な嫡男を本当に殺されていたところだった。
 信長は気性が激しい性格であったと伝わるが、それに加え、もともと官兵衛を好いておらず、疑いの目を向けていたのかもしれない。相性が悪い相手と付き合うのは、大変なことである。

 

 信長と長政も相性はそれほどよくないが、深読みすると、どうやら2人は似たタイプであるようだ。日柱の干支はその人の自然界の役割を表す大事な場所であるが、2人ともここに「戊寅」を持っている(BACK NUMBER参照)。このような関係を律音(りっちん)と言い、似たようなタイプであるため、一緒に組むとビジネス等で成功しやすい。基本相性とは別に、60人に1人しかいない非常にいい相性である。つまり、一見相性が悪そうに見えるが、実際に組んでみると、お互いにお互いを認め頼り合う、最高のビジネスパートナーになった可能性がある。もう少し2人の年が近かったら…と思わざると得ない。

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妃萃(本名:油川さゆり)

ひすい

青森県八戸市出身。慶應義塾大学 社会学研究科 教育学専攻 修士課程修了、同研究科 同専攻 後期博士課程在学中。2013年鳥海流・鳥海伯萃より四柱推命の指南を受ける。これまで500人以上を鑑定。多数の弟子を輩出。

元放送局報道記者。フリーアナウンサーとして、BS11の番組にレギュラー出演しているほか、ナレーターや司会として活動中。日本の歴史、伝統芸能を伝えるため、歴史勉強会、その他イベントを主宰。自身も大和言葉、辞世の句、武田氏と油川氏等について講演活動を行う。合同会社真己、共同代表。また、2016年6月から「カミムスヒ」というソングユニットで歌手活動を開始。手話検定3級、ホームヘルパー、視覚障害者ガイドヘルパーの資格を持ち、社会福祉活動に積極的に携わる。


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