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金正恩は力づくで「中国の影」を葬った

金正男という最後のカード シリーズ!脱中国を図る北朝鮮⑤

金正男氏が後継者から外された理由

 金正恩体制の根底を揺るがす存在だったのが、中国共産党を背景にした、叔父の張成沢であり兄の金正男氏だったのです。

「北朝鮮は改革開放しなければ、経済破綻することは目に見えているが、改革開放すれば体制崩壊の危機を招く」と、金正男氏は、祖国の現状について分析しています。

 1995(平成7)年から中国に在住していた金正男は、上海の急速な成長を目撃して、北朝鮮の改革開放が必須だと考えるようになったのです。

 彼は父親の金正日に、中国式の改革開放による北朝鮮の経済改革を直言した上、1996年には、北朝鮮に台頭してきた資本主義を支持するグループの会合に参加しています。その中で彼は、北朝鮮経済の再生には、中国式改革しか他に方法がないこと強調し、その必要性を訴えました。

 会合から一週間もしないうちに金正男は、平壌の中心部である大同江区域の百貨店近くで、「光明星会社」という看板を掲げて建物の建築に着手しました。

 こうした金正男の動きに対して金正日は、長男に危険思想が芽生えたことを実感し、「経済より政治を勉強しろ」として、経済部門から外して活動を制限した上、長男の側近を次々に逮捕して行きました。

 父親の金正日の逆麟に触れた金正男氏は、長男であったにも関わらず後継者から除外され、自らは半ば亡命者の様になって、中国など海外で暮らさなくてはならなくなったのです。

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田中 健之

たなか たけゆき

 昭和38(1963)年、福岡市出身。歴史家。日露善隣協会々長。拓殖大学日本文化研究所附属近現代研究センター客員研究員を経て、現在、岐阜女子大学南アジア研究センター特別研究員、ロシア科学アカデミー東洋学研究所客員研究員、モスクワ市立教育大学外国語学部日本語学科客員研究員。 昭和58(1983)年に中国反体制組織『中国の春』の設立に関与し、平成元(1989)年6月4日に生じた天安門事件を支援、亡命者を庇護すると共に、中国民主運動家をはじめチベット、南モンゴル、ウイグルの民族独立革命家と長期にわたって交流を重ねている。 平成3(1991)年、ソ連崩壊と共にモスクワに渡り、ロシア各界に独自の人脈を築く。 一方、幼少より玄洋社、黒龍会の思想と行動に興味を抱き、長年、孫文の中華革命史およびアジア独立革命史上における玄洋社、黒龍会の歴史的、思想的な研究に従事、それに基づく独自の視点で、近現代史、思想史を論じている。 玄洋社初代社長平岡浩太郎の曾孫に当たり、黒龍会の内田良平の血脈道統を継ぐ親族。 著書に『昭和維新』(学研プラス)、『靖国に祀られざる人々』(学研パブリッシング)、『横浜中華街』(中央公論新社)、『実は日本人が大好きなロシア人』(宝島社)その他、共著、編著、雑誌など多数。



 


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