フランス革命と貨幣観の革命【佐藤健志】
佐藤健志の「令和の真相」30
◆借用書が貨幣になった!
商品貨幣論において、政府が発行できる貨幣の量には明確な限界があります。
すなわち財政赤字のときには、増税によって貨幣を回収し、財源にあてることが重要となる。
そして革命勃発時、フランスは財政危機に陥っていました。
しかも革命によって、税収はさらに激減する。
税関への襲撃まで各地で生じる始末。
革命の正当性を強調しようとするあまり、「旧政府=悪」の図式をぶちあげたせいで、そんな旧政府の決めた税など納める義理があるかという顛末になってしまったのです。
打開策として考案されたのは、革命によって没収された土地(主として教会領のもの)を売却して財源に回すこと。
しかし実際に売却するまでには、土地をめぐる権利関係の整理など、いろいろ手間がかかる。
こうして革命政府は、「アッシニア」と呼ばれる土地購入用の債券を発行するにいたります。
債券ですから、アッシニアの所有者は、政府にたいして「貸し」があることになる。
裏を返せば、革命政府にとり、アッシニアはれっきとした借用書。
当初の時点では、年率5パーセントの利子がついていました(のちに3パーセントまで引き下げ)。
この段階のアッシニアは、まだ貨幣とは呼べません。
あくまで土地購入用の債券です。
ところが肝心の土地売却が進まない。
大量の土地を一気に売りに出したら、価格が暴落してしまうところにもってきて、教会領の土地を担保に聖職者が借金をしていた事例が少なからず発覚したのです。
他方、アッシニアは転売可。
つまり金貨や銀貨といった「正貨」と交換できる。
商品貨幣論において、正貨は「貴金属商品」ですから、アッシニアと正貨の交換レートは「正貨高/アッシニア安(やす)」になってゆきますが、ここまで来れば、アッシニアが土地購入以外のさまざまな用途に使われだすのは自然のなりゆき。
財源不足に苦しむ政府は、アッシニアを大量に発行するしかない。
金貨や銀貨がまるで足りない自治体は、さまざまな支出をアッシニアで行うしかない。
国民にしたところで、革命の混乱を生き抜くためにも、貴金属商品たる正貨はなるべく手元に置いておきたかったに違いない。
となれば、アッシニアで財やサービスを手に入れようとするでしょう。
こうして商品貨幣論のもとでありながら(革命下、議会はフランスに銀本位制を導入することを決議したと言われます)、本来は借用書にすぎなかったものが貨幣になってゆくという、信用貨幣論を地で行く光景が展開されたのでした。