安室奈美恵は「菜根譚」の人だ
沖縄から日本を代表する歌姫へ。
やっかみを振り払い、努力を積み重ねる
アクターズスクールに入学した当時の彼女はとても引っ込み思案な性格であったが、レッスンなどを真面目にこなしていくうちに徐々に歌とダンスにのめり込む。次第に学校も休みがちになってしまうが、通学していた石嶺中学では教師達も理解がありバックアップしてくれた。
ただ学校の授業についていけず、保健室に逃げこむことも多々あった。そのことで同級生達から「芸能活動で特別扱いされている」と、やっかみもかなりあったと聞いている。まだ小さかった彼女は大変辛い思いをしていはずだ。そういった逆境をはねのけた、持ち前の負けん気の強さが、現在の成功につながっているのだろう。
入校してほどなく琉球放送のローカル番組で行われたカラオケ大会で彼女は見事優勝すると、周りは彼女の変化と早熟さに驚いた。
その後彼女は那覇市内のプリマート(当時のお店は現在イオン系列になっている)というスーパーなどのイベントで歌って踊るようになる。こうしたイベントの仕事はアイドルが通る登竜門である。地道な下積みを経て、徐々に那覇市内の同世代を中心に名前が知られる存在になっていく。
アクターズスクールは、当時沖縄で様々なイベントを主催しており、地方局の30分枠でオリジナル番組も持っていた。私もその番組はよく観ていた記憶がある。同世代の可愛い女の子たちが歌って踊る番組で、毎週楽しみにしていたものだ。アクターズスクールは沖縄で抜群の存在感と人気を誇っていた。