いまも日本は学歴社会なのか?
知ったかぶりでは許されない「学校のリアル」 第11回
◆教育の世界だけが、いまも学歴社会を信じている
現代でも我が子に対し、信の父同様に「勉強しなさい」という父親や母親は多い。信の父は口うるさくいったわけではないが、口やかましく言いつづける現代の親は少なくない。そこには、信の父と同じように「貧乏がいやなら」という気持ちがこめられている。父親も母親も、現在も学歴社会がつづいていると信じているわけだ。
親だけではない。子どもたちも、学歴社会を信じている。その傾向は、強まってさえいる。
ベネッセ教育総合研究所の「第5回学習基本調査」(2016年1月)で、一流の会社に入るために学校の勉強は役立つかという質問に、「とても役立つ」と答えた小学生が2015年で46.2%いる。2006年の同じ調査では32.6%だったので、学校の勉強が一流の会社に入るために役立っていると考える小学生が増えていることになる。同じ調査で、中学生でも同様の傾向になっている。
つまり、明治時代とも共通する学歴社会が、親や子の意識のなかではつづいているのだ。だから子どもたちの多くが、夜遅くまで、休日返上で、学習塾にかよっている。その安くもない授業料を、親たちは負担している。
しかし、明治のころのような「学問さえできれば国家が雇用する」という傾向は希薄になった。雇用する主体は国家から企業に移った。
その企業は、さかんに「人材不足」を嘆きつづけている。一流といわれる大学の卒業生を大量に受け入れている企業でも、「人材がいない」と平気で口にする。だから、一流といわれる企業に入社しても、一生が補償される状況ではなくなってきているのも事実だ。合理化という名の下に整理されることもめずらいしいことではない。
学歴社会は壊れてきている。それでも、教育の世界だけは学歴社会を信じようとしている。しがみついている、といっていいかもしれない。それが、ほんとうに子どもにとっての幸せにつながっているのだろうか。
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