「充実した人生は欲しくない」と思えるか
あなたの人生を知っているのは、あなた以外にいない 60歳からの「しばられない」生き方④
他人の豊かさを知っても何も変わらない
毎日が楽しい、充実しているよ、という人もいるだろう。そういうことをいうのはその人の勝手だし、いったもん勝ちである。しかしそんなことなら、わたしだって、毎日充実してますよ、といえるわけである。
これを読んでいるあなただって、まあおれも充実してるといえばそうかな、といっておかしくはないのである。ただし、そういったからといって、なにがどうなるわけでもない。それに、もしかれらがほんとうに楽しい生活を送っているにしても、かれらはあなたやわたしではない。なんの関係もないのである。
著者が作家だ学者だコンサルタントだといって、人生の達人であるわけがない。あたりまえである。かれらも自分の人生を生きるのに精一杯なのだ。
もし「豊かな生活」や「充実した人生」を送りたければ、自分でつくるしかない。一人ひとり「豊かさ」や「充実」の中味がちがうからである。あなたの人生を知っているのは、あなた以外にいないのである。
しかしほんとうに「豊かな生活」とか「充実した人生」って、なんですかね? 言葉の綾だというのはわかるが、中味のない、ただ聞こえのいいだけの空語ではないのか。そんなものはどうでもいい、と思ったほうが、いっそすっきりするのではないか。
〈『60歳からの「しばられない」生き方』より構成〉